ラーメン屋は街を汚していると思う

この街は到底心地よいとは言えない、吐き気を催すような煙で包まれている。20年ほど住んでいるが、未だにラーメン屋の排気口から出る煙は好きになれない。それを浴びるたびに、聴いていた好きな音楽を、途中で止められたときのような気分になる。年中その煙にさらされている道路は、ひと目見てわかるくらいに黒ずんていて、誰のものでもないこの土地を悪意のかけらもなく汚している事に悲しくなる。最近の処理水問題も多分同じで行き場のない穢れに対してどう向き合うべきなのかということにあるように思う。
 韓国にて反日デモを目の当たりにした時、今まで向けられたことのないような敵意を感じた。眼の前に嫌悪の対象としているものがいるのに、それには気付かず何か別の日本人に対して日常では使う必要のない、大きな声を揃えて、道路を閉鎖し、ミュージシャンを呼んでシュプレヒコールをする。今、ここという瞬間を切り取れば静かで豊かなその土地を穢しているのは、デモをしている集団であり、限りある命を汚し合っている僕らの日韓関係は本当に最悪だと思う。本当に最悪だ。
 ラーメン屋の話に戻るが、僕がラーメン屋に対して嫌悪感を抱いている理由は他にもある。それは、何か食の本質ヅラしている所だ。ラーメンの貧相な見た目とは裏腹に、味に対しての絶対的な自信があるように思う。街の景観を乱すようなテカテカとしたバカでかい看板に殴り書きのような書体で描かれた文字。こんな承認欲求に満ち溢れた看板を提げる店はラーメン屋ぐらいだと思う。別になにか特定の店を批難しているつもりはないけれど、そういった看板を提げるだけで、その街の景観は荒れる。暴走族のいる街に対して、標語を作ったりしてまで自治会ぐるみで追い出そうとする風潮があるのだから、音で街を汚す彼等だけでなく視覚情報で街を汚すラーメン屋に対しても何か処置をとってもいいと思う。
 確かに、戦後の薄暗く寒い日本を屋台のラーメン屋が温めた、というような何処か神話めいた、確証のない共通認識はあるように思えるし、これらが日本人、特に「働く強い男性」にとって心の拠り所であったのだとは思う。男は、ラーメンで会話する等の、昔父に言われた言葉も、恐らくはそういった認識の上にあったのだと思う。別にそれらを否定するつもりはさらさらないし、全く健康的ではないラーメンを美味しそうに食べる友人を馬鹿にするつもりもない。ただ、行き場のない穢れがこの土地を、そしてそこに住まう私達を傷つけあっていることは確かだし、もはや戻る事の無い、そして今を生きる私達が知らない、もしかしたら永遠に作られない共存する世界に少しだけそうなったらいいなと思っているだけだ。
 最近暑すぎるから、これ以上気が触れて敵を増やしてしまわないように、得体のしれない空気を吐き出す機械のスイッチを入れて、地球温暖化を加速してやろうと思う。

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