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時々思うこと

時々思うことがある。あの日あの時ああしていたら、今の私はどうなっているだろうかと――。それはきっと、誰しもが時々思うことで、何の変哲もないことだとは思うけれど、私にとってそれを想像するときは必ず、とても辛い時だ。

あの日あの時、私が別のグループに入っていたら、とりご(じゃんけんでリーダーを決めリーダーが順番に人を選んでいくシステム)になんか参加しなければ、私は病気にはならなかったのかもしれない。

あの日あの時、先生たちの言う通り高校には声楽で進学していたら、高校を中退することはなかったかもしれない。

あの日あの時、あの人に恋をしなければ、あの職場で今も働いていたかもしれない。

けれどあの日あの時、旦那と出会わなければ私は今の安寧を手に入れることが出来なかっただろう。

いろんなあの日あの時があって、その日その時の私が選択した結果が今の私だ。人生とは取捨選択をしていくことだ。子どもの頃からそう思ってきたし、今もそう思っている。ああ、なんてかわいくない子どもだろう。小学生時分からそう思って生きているのだから、私はきっと教師にとって嫌な子供だっただろうと思う。

自分だったら間違いなく思う。

それでもまあ、空気は読めないなりに何とか生きてきた。辛くなると、あの日あの時を思い出して、自分の取捨選択は間違っていなかったのかと自問自答することはあるけれど、それでもまあ、私はきっと間違っていない。

間違っていては困る。この安寧も、息子の寝顔も全部、選択が違えば手に入らなかったものだ。noteやカクヨムにも出会わないまま、誰にも読んでもらえない小説を書いていたかもしれない。

誰かに読んでもらえる幸せを知らずに、死んでいたかもしれない。だから、まあ間違っていないと思う。私は。きっと。絶対。

自分にそう言い聞かせながら、やっぱり時々思うのだ。だから私は、これから先は自分が後悔しない生き方をしようと思っている。強くはなれないけれど、それでも泣きながら藻掻きながら、書いて、生きて、そしてそれをまた書く人生を送ったっていいじゃないかと思う。

職業作家にはなれないけれど、自称作家なら自称するだけでなれるのだ。誰かに読んでもらえる有難さを感じながら、今日も廣瀬は生きている。

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