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こんな小春日和の穏やかな日は

カフェタイムですね。はい。激混み。帰ろうかなとも思うけれど、これから人と会う約束なので帰るわけにもいかず、しかも行くのは違うカフェ。とりあえず、家から離れたくて、早めに家を出てカフェに来ております。

小一時間と思ったけれど、財布忘れて家に戻ったりしたので、三十分くらいしかいられなさそう。それでも、noteの更新したりする時間はとれるからいっかと割り切って、パソコンに向かっています。

カフェで手帳タイムしたいけれど、新しい手帳は三月はじまり。もうすぐだけど、待ちきれない。ので、一緒に持ってきちゃったてへ。

最近、よく思うのが、一時期小説を読むことからも書くことからも遠ざかっていたけれど、今またこうやって自分からやりたい、読みたいって思って近づいていくってことは、私本当に書くことも読むことも好きなんだってことです。

とても、上手い文章ではないけれど、それでも書いていると自分が浄化されていくような気持ちになるし、誰かの胸を時々打つこともあるみたいでそれが嬉しくて、私は書くことを仕事にしたかった人間なんだなと改めて思ったりします。

まあ、職業に出来るほど書けないんですけれど。でも、それでも、楽しく書くことはできるから今の時代ってとてもいいなと思うのです。私が子どもの頃は、そんなものなかったし。

高校位でブログとかそういうものが流行りだしたのかな。ネット小説とか。私が書きだしたのもその頃だったし。私のケータイ小説も一時期1万PVとかいった時期がありましたが、今は昔、そんなに私の小説を見てくれる人はいないのです。

それでも十分満足できるようになったのだから、私の自己顕示欲とか承認欲求は少し影を潜めたのかもしれませんね。いや、ここにそれを書くくらいだから潜めてないか。

色んなことを頑張りたいと思う反面、それって躁なんじゃないかとか、そのあと不穏になったりして、調子が戻らなかったらどうしようとかそんなことを考えたりするときもあります。

でもそれって、結局考えてもあんまり意味のないことで、楽しいことを楽しめるうちにしてしまうっていうのはいいことなんじゃないかなって思ったりもするんですよね。

時間は有限だし、人生も有限なんだから、閉じこもっていても何の意味もないというか。私は、病気だけれど、病気だからって自分の殻にこもりきりでいる必要なんてどこにもないんだよなって。

体調がいい時は出掛ければいいし、体調が悪ければ寝てればいいだけで、好きなことしていいんだよなって。仕事に復帰したらそうはいかないのかもしれないけれど、仕事をしていない今だからこそできることを、やっちゃえばいいんじゃないかなとそう思うんです。

私には私にしか作れない物語がきっとあると思っているので、それを書いていけたらいいなと思います。思いのほか長くなっちゃった。私noteには1000文字程度と決めているので、そろそろお終いです。

というわけで、今日も今日とてカフェタイムの廣瀬でした。

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