私は三国志を人生にこのように活かした

佐藤ひろおです。早稲田の大学院生と、週4勤務の正社員(経理職)を兼ねています。三国志の研究を学んでいます。

せっかく考えたネタなので書き留めておきます。
歴史は実生活の役に立つのか?

たとえば、ぼくの場合は、どうなのか。
自分が研究している三国志は、現代社会を生きる自分(意味を狭めるならば、日本のアラフォーの勤め人)の役に立つのだろうか。

ぼくが三国志を活かしているとしたら、
「会社員として忠実かつ従順に働き続け、年功序列・終身雇用を目指すべきだ」という社会通念から距離を取るために三国志を活かしていると思います。自分のペースで生きるための参考にしています。

今日、年功序列・終身雇用は、崩壊したと言われて久しい。
しかし、尾石晴さんが書いていたように、いまのアラフォーは、子供のころは「年功序列・終身雇用ばんざい」という教育を受け、親世代はこれを規範として逃げ切った。いざ自分が大人になってから、「年功序列・終身雇用は終わった」と手のひらを返された。
価値観や社会構造への了解について、個々人に切り替えが丸投げされた世代です。※アラフォーだけが特異的に生きる難易度が高いと言いたいのではありません。世代によって困難はいろいろあります。

たとえば、「中学校や高校で丸暗記させられた世界地図の国名・首都名が、世界同時政変によって、ほぼ入れ替わった。大人になってから、すべて覚え直しになった」という感じでしょうか。
現実でも国名・首都名は数十年で変化していますが、見て見ぬ振りをしていられます。変化していない国名・首都名のほうが多いからです。旅行ができない、ニュースが理解できない、ということは起きていない。

「年功序列・終身雇用を目指すべき」という、子供のころにインストールされた価値観が、まるで世界地図がリセットしシャッフルされたように入れ替わってしまったのかも知れない。※懲りずに半信半疑

ぼくは会社への情熱が低いのに、だましだまし大手系列に繋がり続けている。これだけ不適応を起こしているのに、いまのところ、手元に退職願を握りしめているわけでもない。
けっきょく、「年功序列・終身雇用」が必ずしも終わったとは思っていない。むしろ、近年日本の労働市場の調査では、勤続年数が延びている傾向にあるそうです。
「しがみつきたい」自分と、「もう離れてもよいのではないか」という自分が分裂して、苦しんでいる。世のアラフォーたちは、びくびくしながら、退職したひと、独立したひとの武勇伝に耳を傾けてしまう。
しょーもなくてすみません。

さて遠回りしましたが、
「三国志を実生活にいかに活かしているか」でした。

三国志は、400年も続いた漢帝国が滅びたつぎの時代です。
漢帝国は強い統一国家した。
一定以上の経済力・教養がある家のひとは、「漢帝国に仕える」というのが、ほぼ唯一の世に出るためのルートでした。
漢帝国の側でも、人材取り込みの網をかけてくる。漢帝国に協力したほうが有利になることが多い。「漢帝国に仕えない」というのは、反逆者・挫折者ではないものの、変人の類いとされて不利であり、社会的に奨励されることではなかった。※立場や思想によりますが

「漢帝国に仕える」とは、今日の日本で「公務員になる」よりも意味が広いです。
今日の日本で「公務員+民間企業+その他の機関等に就職する」をすべて合わせたような感じです。漢帝国に、漢帝国にカテゴリが並ぶ「民間企業」なんてなかったので。社会に参加する=漢帝国に仕えること、です。

西暦200年ごろに漢帝国が傾くと、もともとは漢帝国に仕えてきた家柄だが、漢帝国に仕えるのを辞める、漢帝国に対抗した英雄に仕える、という選択肢が生まれます。一部の変人・奇人だけではなく、主流派・名門ですら、漢帝国から距離を取ります。
ほぼ唯一の正解だったルート(漢帝国に仕えること)が、唯一の正解ではなくなった。それが漢帝国の末期から、三国志の時代への移り変わりです。

有名どころでは、諸葛亮孔明は、祖先が漢帝国の高級官僚だったが、かれは漢帝国に仕えようとしませんでした。仕えるにも、漢帝国が機能不全だから仕えることができなかった。
漢帝国から距離を置いて地域に平穏をもたらした英雄がいましたが、その英雄にも仕えなかった。やがて、弱小勢力の劉備玄徳が「私に仕えてほしい」と口説きにきますが、やはり断り続けました。3回目の訪問でようやく劉備玄徳のために働くことを決めました(三顧の礼という)。

唯一の世に出るルート、一人前に社会に参加するルートが壊れたとき(賞味期限、耐用年数が切れたとき)に、どのように身の振り方をするか。不確定な状況に対応するか。
諸葛亮孔明は、心の底から尊敬でき、納得できる人物が現れるまでは、世に出ませんでした。ほかにも、「逃げ続けたひと」は、三国志の時代にたくさんいます。晩年になって、ちらりと国家に関わったひともいます。
ムリをして時の権力者に協力する必要はない。権力者に迫られても、意地でも逃げたひともいた。気が狂ったふりをして、権力者をあざむいたひともいた。国家が混乱しているため、自分の身を破滅させまいと、社会から距離を置いたひとたちが、三国志にはたくさんいます。

かれらの生きざまが、ぼくのロールモデル(というほどのものではないが)になっていると思います。
基礎の揺らいでいる社会システムに、苦しい思いをしてしがみつくことはない。そのせいで心身の健康を損ねるくらいならば、引きこもって好きな勉強をしていればよいと思います。完全に社会をシャットアウトしなくても、接点を減らして生き延びればよい。
これが、ぼくなりの「三国志から学んだ処世術」です。
おそまつさまでした。

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