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ネットの発信力は「生身をさらす」に比例する

佐藤です。ネットで発信力を得て、ファンを獲得するには、「生身の人間」を晒すことが有効である。年齢・性別・社会的な立場が不明の匿名アカウントは、2020年代は力を発揮できない。
という話をしてきました。

ぼくは1990年代からインターネットを触り、ゼロ年代からウェブで発信を始め、2010年代をすべて経験。今に至ります。「インターネット老人会」と揶揄される、昔のネットの常識も楽しめます。
若いひとには出来なかった経験です。※そんな経験はしなくてよい

2010年代後半から、ネットでは潮目が変わりました。

かつてネットで最大勢力を持ったのは、匿名アカウントでした。匿名で書き込める掲示板は、一時代を築きました(ぼくはやってなかった)。ネットで個人を特定されたら、徹底的な攻撃を受ける。物陰に隠れて、罵声を浴びせているのがネットとの基本的な接し方でした。

現在、迷惑行為に対しては法的な措置が取られます。
SNSのプラットフォームは、迷惑なアカウントを使用停止にします。コメントを自動的に非表示にします。社会が「追いついた」おかげで、個人レベルでの防衛が不要になりました。

かつてインターネットは、原始人?が荒野で棍棒を振り回し、暴力しか勝ちませんでした。自分の身は自分で守るしかなかった。20年を経て、権力や法制度・警察が生まれ、安全と秩序を保証するようになった。

個人情報をいたずらに晒す必要はない。戸籍に登録された名前で発信する必要はない。顔を出す必要もない。
ただし、発言者が「だれ」なのか。発信内容に信頼性、説得力を付与できる範囲で、年齢・性別・社会的な立場を明らかにし、顔をさらすのは、おそらく有効です。2020年代だから、はじめてできること。

ネットでの「発信」に対してお金を頂戴したり、執筆や講演の依頼を受けたいのならば、よりいっそう「生身」を露出する必要があるでしょう。
誰だか分からないひとに、お金を払えないし、仕事も発注できません。込み入った相談もできません。

ネット発の著者で、「属性すら不明の匿名のひと」はほぼいない。匿名で架空のキャラクターで徹しているひとは、発信力を持てない。架空のキャラを設定するのは、言い方を変えたら、「ウソをつき続ける」こと。※悪いウソではないですけど
架空のキャラを設定すると、「安心」な反面、発信の幅を制約されるし、柔軟さがそこなわれる。グチを吐くだけのアカウントなら匿名で十分ですけど、伝えたいことがあるなら、完全に匿名なのは不利です。

ひろゆき氏?が、「顔を出さずに影響力を獲得したひとは皆無」って言ってました。文の内容だけで、純粋に評価されるのは困難。「どこのだれが、どの立場から言っているのか?」は大事な要素。実在の人物として発言しても、身に危険が及ばない時代が、ようやく来ました。

ぼくの感覚では、
10代のひとは、当たり前のように「生身」を載せてます。ネットの原始時代を知らないからでしょう。
20代は、ネット原始時代を間接的に聞いているので、過剰防衛しがち。発信を浸透させるチャンスを逃している(かも)。
30代は原始時代を生き抜いているので、時代に変化に気づく(かも)。40代のひとは、いまだに棍棒を振り回してます。感覚のアップデートって、大事だなと思います。

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