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気持ちよくおごっていただけるようになった

佐藤ひろおです。早稲田の大学院生(三国志の研究)と、週4勤務の正社員(メーカー系の経理職)を兼ねています。

ぼくはアラフォーですが、早稲田大学の博士課程の「新入生」。
いわゆるドクター1年生です。
先生や先輩がたに、食事をおごって頂く機会があります。

周りの学生(新入生など)は、おごられることに恐縮し、ギクシャクしたり、お金の話になるとピリッとするんです。むしろ、おごられることに恐怖感を持っているのではないか、と感じます。
ふつう(?)は、お金を払うことがダメージなので、「おごられることに恐怖がある」は不思議ではないか?という疑問が生じ得るでしょう。

ぼくは、心からありがたくおごって頂きます。
「ごちそうさまです、おいしかったです!」

ぼくもむかしは、おごっていただくことが苦痛でした。
アラフォーになった現在、まったく「わだかまり」なく、おごって頂けるときは、喜んでお言葉に甘えます。

何が変わったのか。
・これまで自分も、若い人や新しくきた人におごってきた
・同じ席で、自分がおごる側に回ることが容易に想像できる
・「きみが払え」と言われても、気持ちよく払える
という、経験とわずかな金銭的余裕ではないかと思います。

もしも立場が変わって「きみが払え」と言われたとき、恐ろしくて払うことができない(痛みを感じる)ならば、おごられることが恐怖なのではないか。「申し訳なさ」のようなものが生じるのではないか。

ここまで書くと、「財布とアタマがゆるい、都合のよいおじさん」のようになるので、もう少し内面を観察しておくと、
・おごりたい相手とだけ食事にいく
・自分も食べたい店にいく
・痛みを感ぜずに払える価格帯の店を選ぶ
このあたりを大切にしたい。

お店に入って着席する前に、だれと飲み食いをするか、どの店で飲み食いをするかは、ほぼ決まる。飛び入りで参加者が増えることはあるけれど、会食の趣旨や雰囲気がまったく変わるこということはない。
お金を払う(もしくは払って頂く)段になって、「高いな」「だれが払うのか」「お金を払ってもらうのは負い目がある」と葛藤を始めるのは悪手だと思います。最初から、おごりたい相手と、自分も食べたい店に行き、痛みを感ぜずに払える範囲におさめる。
これならば、もし「おごってあげるよ」と言われたとき、ひっかかりを感じることなく、「ありがとうございます!」と言えます。

おごっていただくとき、主客の立場を交換可能で、ただの順番の問題だと心の底から納得している。そういう場合、気持ちよくおごっていただくことができるのではないでしょうか。

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