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国の歴史は「たわむ」し遅延する/現状を悲観することはない

佐藤ひろおです。会社を休んで三国志の研究をしています。

経済学は、シンプルな世界を提示します。
「ホモエコノミクス」では、ひとは経済的に有利な(もうかる)判断が適切にでき、錯覚や誤解をしないという。「完全(競争)市場」があり、各時点で最適な価値・価格が、全世界に一瞬で反映されるという。
どっちも、あり得ないですよね。

シンプルなモデルを仮想すること自体は、悪くないんですよ。

物理でも、金属玉を転がす速度を求めるとき、「完全な球体とする」「土台とのあいだの摩擦をゼロとする」「空気抵抗をゼロとする」などの、あり得ない設定を設けて、計算します。その後、金属玉のいびつさ、土台とのあいだの摩擦、空気抵抗などを加味します。

問題なのは、物事を捉えるとき、シンプルであり得ないモデルしか用いず、その他の要素に目を向けないこと。安易に決めつけること。

いまの日本国は、展望が明るくない……でしょう。人口減少、デフレ傾向など、ポジティブではない。日本のまずさを指摘した本は、書店で無限にあります。わりと当たってます。
この現状がもし、
「ホモエコノミクス」が想定するように、政治家も有権者も、経営者も労働者も、ベストな判断を積み重ねた結果であり、「完全(競争)市場」が想定するように、日本人の思考力・実行力の限界を(即座に正しく)反映しているなら、嘆く気持ちも分かります。

しかし、ひとの営み(国家の盛衰)、すなわち歴史は、そんなシンプルなものじゃない。経済学の最小限のモデルで、安易に捉えてはいけない。

ある時点で、人々が不合理な判断をすることもあります。自己ベストの判断をしているとも限らない。各人の問題意識と判断・がんばりが、タイムリーに反映されるとも限らない。
歴史の進み方は、「たわむ」し遅延すると思います。
これは、歴史を研究するものとしての経験則です。何かのきっかけで、ガラッと変わることがあり、一気に何かが反映されるかも知れません。

数十年後、「一難去った」とき、つぎの時代への準備、再興への萌芽は、あんなところに秘められていたんだ……みたいに振り返ることになります。
心配ごとは多いかも知れませんが、自分ができることをやり、生きる方法を確保するなりして、何らかの「タイミング」に備えることが、大事なんじゃないかなと……。
(ぼくが何をするかは、機会があれば別記事で)

ポエミックな記事になってしまいましたが、働かずに大学院生として隠棲していると、そんなことを思うのです。
サラリーマンを15年やりましたが、働きながらだと、こんなこと言わなかったでしょうね。業務への問題意識と不平不満で、忙殺されてたでしょう。

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