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中国史のファンが、潮が引くように劇的に減った考

佐藤です。昨日は、同業者の楽史舎さんとお花見してきました。どういう意味で「同業者」かと言えば、会社員だけど、趣味がこうじて中国史について勉強し、勢い余って本を作ってしまった人。
本づくりについては、ぼくの大先輩です。

「ネタ」本をたくさん作ってて、手に取りやすいです。

時間を忘れて雑談。1時間ちょい喋ったかな?と思って時計を見たら、3時間が経過してた。2人とも終電を逃すところでした。せっかくなので情報交換とか、今後やりたいこと、などを話すわけです。
この2年弱、つまり感染症が定着して以降、中国史には「人がいなくなった」という認識で一致。

とくに、Twitterの「過疎」が顕著。Twitterで中国史の情報を収集したり、発信したりするひとが、がくっと減った。
自分の感覚と一致していました。

ぼくは、自分のTwitterアカウントが、運営による処罰(いわゆる村八分)を食らっているのか?と疑って、調査したり、仕様の変化を追いかけたりしたんですが……、中国史に興味があり、Twitterに日常的にアクセスするひとがいなきゃ、反響があるわけない。

感染症の影響は大きい

素人が本を作るときは、「手売り」が基本です。

コミケ(コミック・マーケット)などのリアルなイベントで、作り手と買い手が顔を合わせる。作り手であり、買い手である。今日は買い手だけど、明日は作り手になる。
リアルな接点をもち、褒めあい、励ましあい、お金を払いあってきた。そういう種類の「遊び」でした。

ぼくは、ネット経由で(すら)ものやサービスを買って頂くには、「生身をさらす」ことが大事だと思ってます。素人の本づくりの場合、リアルなイベントで著者に会うし、握手やサインは日常風景なので、おのずと安心感が生まれていた。
いま、純粋にネットの通販・小売店への卸しのみ。販売手段が限定されたために、楽しさが9割減です。そして(ほとんど)誰もいなくなった。

感染症による雰囲気の沈滞や、日本経済の影響がどれほどかは測定不能だけど、また、わいわい楽しみたいなーという老人会になってしまいました。生活の先行きが不安だから、中国史どころじゃない!という分析が当たっているとしたら、すごく悲しいです。

アニメ化も映画化もされる『キングダム』があるじゃないか。と思われそうですが、ファン層が「中国史」とかぶらない。相互にすれ違い。

Twitter過疎にトドメをさしたもの

Twitterからだれもいなくなった理由は、思い当たる節がある。研究者たちが「販売促進」のためにTwitterに盛んに来るようになって、過疎にとどめが刺されたのでは??というのが、ぼくの仮説。

『Z世代マーケティング』という本曰く、なぜ今の子供や若者がFacebookを使わず、Facebookが「中高年のメディア」になったか。答えは簡単で、先生や親と出会う場所では、楽しめないから。

小中学校の「自習」は、先生がいないから楽しいのであって。先生が教室にいる状態で「私はテストの採点をしている。自習しろ」と言われても、本来の自習の高揚感は得られない。

正統派の研究者がウェブを使いこなし、大手出版社が売上を伸ばす。時代の潮流には合っていると思うんですけど、時を同じくして、潮が引くようにひとがいなくなりました。これも事実。
Twitterの仕様改悪、感染症による景気へのダメージと同時でした。10年以上、定点観測しているから、分かるんですよね。単独で理由を求めることはできないが、わりと「ある」と思ってます。

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