見出し画像

「坂本龍馬暗殺されるってよ」はネタバレらしい

佐藤ひろおです。早稲田の大学院生と、週4勤務の正社員(経理職)を兼ねています。三国志の研究を学んでいます。

ぼくは歴史が好きなので、歴史にかんする会話とか、ネットでの言及が集まってきます。いつか、坂本龍馬のテレビドラマがやっているときに、学校の歴史の授業で、「坂本龍馬は暗殺されます」と先生が言ったら、「先生!ネタバレやめてください」と生徒が怒ったらしいです。
都市伝説かも知れません。

ぼくはテレビを持っていないので、駅に貼ってあるポスターで知りましたが、2023年は徳川家康のドラマがやっているらしいです。徳川家康は、数々の分岐点、決断を迫られるシーンに遭遇しますが(タイトルから、決断を迫られるシーンばかりを描くドラマなのかな?と予想。ライフカードのオダギリジョーみたいなやつ)、徳川家康は最後まで勝ち残り、その子孫が260年にわたり日本を統治します。
これはネタバレなのか?

中国には歴史書というものがありまして(これがぼくの研究対象です)。歴史書には、それを書いたひとが当然いるわけですけど。歴史書を読んだひとが、行間とかに「書き込み」をしていく。
Aというできごとがあったとき、そこに、「Bというできごとの『張本』である」という書き込みをします。たとえば、織田信長が明智光秀のことをひっぱたきました、という記述があったら、「本能寺の変の『張本』である」と書きます。

「張本」は、ハリモトじゃなくて、むりやり日本語では、チョウホンと読みますけど、「伏線となるできごと」ですかね。歴史書は小説ではないし、意図的にできごとを配置する作者はいないので、「伏線」というのは違和感があるのですが……、うまく日本語訳できないんですよね。

推理小説、刑事ドラマにたとえるならば、ある人物が登場し、名前などのプロフィールが表示されたときに、「(本作の犯人)」と書いてあるようなものだ。
図書館で本を借りたら、ある人物の初登場時、名前のよこに「←犯人」と落書きがあったら、いったいどないしてくれんねん、と思います。キャラ同士が口論するシーンに「←犯行動機」と書いてあったら……。これらと同じような書き込みが、中国の歴史書では権威づけられて、貴重な情報として、千年以上の時を超えて継承されていくんです。

中国の歴史書には、「いかに簡潔に書くか」「いかに体系だてて説明するか」という美学が働いている。やたらめったら、詳しく細かく、期待を持たせて書けばいいのではない。

たとえば、街に1万台設置された防犯カメラの映像が、10年分にわたり保管されていたとて、それは「歴史書」じゃない。
現在でこそ、情報の保管コスト(サーバー使用料)がほぼタダになりましたけど、むかしは、そういうわけにはいきませんから。いかに歴史書を書くか競うよりも、いかに後世に伝えられるか競うほうが、淘汰がシビアだった。ハードルが高かった。
簡潔さと体系性にすぐれたものが、後世に伝えていく価値のある歴史書です。ネタバレをいとわず。このできごとが、こうなって、こうなって、だからこういう教訓やすじみちが得られるよね、とストンと腹に落ちる歴史の記述が、行間の書き込みも含めて、大切に後世に伝えられた。

天下をとって皇帝になる人物は、登場する1行目から、「皇帝の○○は」という表記であらわされます。だれが天下取りのレースに勝ち残るか分からない。まさか、あのザコキャラが……というワクワクはなくて、生まれた瞬間から、「←皇帝」って書いてあるんです。

歴史書の美学は、「ネタバレするな!」ではない。むしろ、ネタ同士のつながりが過不足なくあっさりとまとめられていることが尊重された。

「ネタバレ」について論じた記事に触発されて?、そういえば中国の歴史書の注釈(行間の書き込み)って、やたら「張本」の特定をするよな、ネタバレしてくるよな、と思ったので、書いてみました。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?