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60分の講演で気をつけたこと/講演成功のノウハウ

日曜日に神戸で三国志の講演をしてきました。
一般向けということで、ぼくのチャレンジテーマは、どれだけ自分のなかの最先端の知見をアピールできるかではなく、どれだけ催し物として楽しんでもらえるかです。自分のなかの三国志の知見が100あったとして、30を示して小難しくなるより、アウトプットは3でいいから、プレゼン?として楽しく仕上げることが大事。
ただし、ただ薄めて、誰にでもできる話をしても仕方がなくて、、
感染症あけの久しぶりのイベントなので、オフラインで空間を共有し、来てよかったって思ってもらわないといけないのです。オンラインの講演の配信であれば、要するにただの映像コンテンツなので、ディズニー映画とか鬼滅の刃と「競合」します。発信者にそのつもりがなく、受信者にそのつもりがなくても、構造的にそうなるって話です。
だから、観客に問いかけながら、これ知ってますか?って定期的に聞きました。
オフラインの双方向(←変な言葉ですがこのご時世を経てあえて意識すべきことになりましたね)の特徴をフル活用しないと、わざわざやる意味がないわけです。
「せっかく」オフラインなのに、手元の資料に語りかけて棒読みで、たまに義務感から、チラッと視線を客席に飛ばすだけのプレゼンターがいますが、ああいうのは録画配信でいいです。どうせ見ないですけど。資料よみゃわかるじゃん!

観客への問いかけは、観客を飽きさせないという技術的な工夫ではあります。体を動かすと物理的に覚醒するし、一体感、当事者であるということになりますから。
それだけでなく、初対面の数十人の知識レベルや期待値をさぐって、講演内容の濃淡をリアルタイムに変更するために、聞いてたんですよね。
その場のみんなが分かりきったことを延々と述べていて、観客同士が無言で目配せしてウンザリーというのは、最低です(観客として退屈の刑に処せられた経験があります)。かといって、観客おきざりにペースをかっ飛ばしても、ダメなんす。みんな、どうせ努力して聞いても理解できないぞ?と悟った途端に、聞く努力をやめます。要するに寝ます。
数十人の聴衆が同じレベルということはあり得ませんが、何回も手を挙げてもらって、この場に最大公約数はこれくらいですよと、観客自身が「立ち位置」を確かめてもらえれば、よいかなと思ってました。知識豊富なひとは、先生の側に回った気分で付き合ってくれるでしょうし、知識が少ない人は、それくらいは分かるようになっときたい!という動機づけになる(といいと勝手に思ってます)。

観客に視線が届いてますよっていうメタメッセージは大切で、遅れてきたひとが、資料のどこの話をしているか見失っていたら、話を止めて位置を示します。狭義には、レジュメの場所を示していますが、ねらいは、客席を見てますよー!と伝えることです。
ページが変わって、ガサガサしてたら、みんなが落ち着くまで待ちます。
いちばん注意力を引きつけるのは、大声とか身振り手振りではなく、沈黙なんです。勇気を持って、数秒だまる。これで、注目を再び集められます。意図してなくても、講師がお茶を飲んで、数秒だまったときって、みんな、なぜか注視するじゃないですか。トラブルか?と、心配する心理があるのかも。無言による「放送事故」は避けるべきですし、多用は禁物ですが、マを取るのは有効です。ページが進み、ガサガサを待つのは、マの取り方として正当なことだし、話が進んでる!という達成感を、体を動かして感じてもらえるはずです。

あとは、小手先のことですが、講演において聴衆がもっとも活性するのは、講師が「誤字がありました」って訂正をしたとき。メモを取ってなかった人ですら、周囲のただならぬ雰囲気に押されて、誤字を直します。書くと、脳が元気になります。
わざと誤字を作るのはプライドが許さないし、授業じゃないんだから空欄を作るのもなんか違う。そこで、前半で伏線をはり、その箇所を記号で示し、後半で紙をめくって探してもらいました。校閲者の目線に、巻き込む工夫です。

さっきから、紙、紙と言っていて、時代に逆行した発表スタイルですねと思われるかも知れませんが、
はじめて行く会場、運営側が用意してくださった機材を使うのは怖すぎます。故障してなくても、トラブルは想定すべきだし、自分で持ち込んだ機材と接続するなんてリスク高すぎ。バージョン違いなど、相性は意外と気難しいし、機材が原因で、講演内容や時間が損なわれるなんて最悪。紙は最強!
紙だと一覧性が高いし、メモってもらえるし、聞いた話を持ち帰れる安心感があるし、おみやげになり思い出にもなりますしね。でも一番だいじなのは、本番で事故がおきない安全性です。

こんなことばかり気にしてたのかよ?と思われそうですが、三国志は、15年来、1年に350日くらい勉強してるから、がんばるのはソコじゃないし、あと30段階くらい変身を残しているわけですから、表現方法に注力できるわけです。三国志を手抜きしたんじゃないです。

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