Z世代のタムパ考/『正直不動産』より
佐藤ひろおです。会社を休んで早稲田の大学院生をしています。
三国志の研究を学んでいます。
『正直不動産』っていうマンガがあって、ドラマ化されてます。
最新の14巻に、主人公(30代後半?山Pが演じる)が、Z世代(作中では、1996年~2010年生まれの世代)を叱るシーンがあるんです。
「Z世代だか、リアリストだか知らねーが、なんでもかんでも、タムパ、タムパって言ってんじゃねえぞ、この野郎。仕事だって、人生だって、なあ、一見ムダに思えても、振り返ったら、じつは意味や価値があったことなんて、いくらでもあるんだ」
タムパとは、タイム・パフォーマンス。時間をかけた分だけ、相応の見返りがないことは、したくないって考え方だそうです。
ぼくはアラフォーなので、タムパ重視のZ世代を叱り飛ばすほうの年代なんですけど、タムパを追及したいですけどね。
作中でZ世代の若者は、タワーマンションに住むことも、高級車に乗ることも、会社の飲み会に行くことも、定時後に無給で残業することも拒否して、自分なりの快適さを追い求めるから、宇宙人あつかいでした。あれれー。ぼくも同じ考え方ですし、実際の行動もそんな感じ。
反面で、「一見ムダに思えても、振り返ったら、じつは意味や価値があったことなんて、いくらでもあるんだ」も、すごくよく分かります。ぼくは、昭和風の新卒社員の時代を過ごし、鬱病?やりましたが、あのときの過酷な経験は、それなりに意味や価値を持っています。
ムダを礼讃する、老人の世迷い言か?
今の若者を批判して、偉くなったつもりすか?
昔はよかった、オレはすごかったねーって言いたいのか?
いいえ。
20代の価値観・尺度で、いま意味があると思えること、高パフォーマンスと思えることだけを選び、その他を排除するのは、「その日暮らし」の経営方針だと思います。目先の現金は、細々と流れ込んでくるから生きていけるが、やがてジリ貧になる。
20代の若者は(死なない限り)30代、40代になります。
タムパを追及し過ぎた結果、20年後、同世代のみんなが大きな仕事(率直にいえば、単価の高い仕事)をしているとき、自分だけは、20代のスケール・時給でしか働けず、時間もエネルギーもなくなっちゃうんですよね。
すぐに「換金」できるのは魅力的ですけど、つぎに繋がらない。ひとの繋がりも増えない。会社員でも個人事業主でも、ジリ貧です。
同じ『正直不動産』14巻のなかで、主人公が務める会社の社長が、過去に不義理を働いた相手との取引再開について、
「以前、社長を裏切ったことは許すということですね?」
「許す?何かトラブルでもあったか?」
と、さらっと不義理を水に流し、新しい取引を許します。このシタタカサが、その場その場の快適さをあえて度外視し、ビジネスができる大人だ、という作中の対比になってます。※直接は書いてないけど
ここまでだと、「アラフォーのお説教かよ」っていうお粗末な記事になってしまうので、『正直不動産』に書いていないことを言います。
20代のときは、自分が何がしたいか、何に適性があり、何をしたら勝てるか、自分でも分かりません。なぜなら、才能や強みは、現実社会で試してみない限り、知り得ないから。
「宇宙で物体の質量を知るには、体重計が使えない。静止状態から、運動状態へと変更するとき(動かし始めるとき)どれだけエネルギーが必要かで、質量が分かる」そうです。※うろ覚え
20代の価値観で、パフォーマンス最悪、なんの意味もない!!と思えることでも、やってみないと、そこに意味があるかすら知り得ない。タムパ・コスパともに最悪に見えることであっても、取り組んだ結果、何かに気づくかも知れない。取り組まないと、何も分からない。
めっちゃ効率悪いですね。でも、それしか方法がないんですから、どうしようもないですね。
アラフォー以上は、「振り返ったら、意味も価値もあった」と言いますけど、仕事や経験の意味って、このように、振り返るという形(過去への眼差し、回顧という視線の向き)によってしか、知ることができない。
30代、40代になり、キャリアが形成され、経験をベースにして、自分の強みとか将来が見えてきたとき、「星座」のように、過去の点と点がつながって、線になり、絵になるんですね。
「老人が、過去を正当化してやがるぜ。寂しいやつだな。お説教にかこつけて、タダ働きを強いるなんて最低だ」
という見方もできるでしょうし、20代のぼくなら、そう思っていたと思いますけど(なんてヤツだ)、ダメでもともと、歩留まりが低いことは飲み込んだ上で、いろいろやってみるしかない。
「やりがい搾取」にはご用心……ですけどね。
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