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大学院でのマイノリティ体験/高年齢はハンディキャップ?

佐藤です。早稲田大学の大学院に1週間だけ通いました。
「会社員であり、年齢が高いが、大学院生である」という属性は、少なくとも文学研究科ではマイノリティです。※ぼくは39歳

マイノリティは、「自分は何者であるか」という説明を不断におこなっていかなければいけない。環境に負けないように、周囲に舐められないように、不利益をこうむらないように。自己主張というか、自己言及・説明をしていかなければいけない。
ぼくは、自嘲というか、笑いに変えてますけど、疲れる。

かってに自爆してるのか?そのせいで、「付き合いづらいやつ」と思われたら、それは望まない。年齢を自分から話題にしすぎか??
社会人として職業がある、お金もある。この学問分野に係わる論文も(学外から)発表してきた。それなのに、こんなに後ろめたいのってスゴイな。

ぼくは留学経験、海外赴任の経験がありません(海外は旅行のみ)。
日本社会における日本人。祖父母のルーツは不明だが、おそらく4人とも日本人。大学卒の正社員になった。心身ともに男性で、恋愛対象は女性。病気や身体的特徴は特になし。
……というわけで、おもにマジョリティに属してきたので、本格的なマイノリティになったのは、ほぼはじめてかも??

「格上」の会社に常駐させられ、不遇であり、周囲に舐められたり、人間扱いされなかったり、不利益を被ったりしたことはあったけど。あれは、主体的に選び取った境遇、運命じゃなくて、事故みたいなものだった。

ある授業でようやく、ぼくよりも「年上」と思しい女性の社会人院生を発見。自己紹介のとき、「私は年齢が高く、仕事もあるから、なかなか卒業ができていなくて」と恐縮してました。
彼女もまた、マイノリティという自覚があるのでしょう。
「なんでおんねん、何しとんねん」
という、声なき視線と戦ってきたんですね。アラフォーのぼくが、勝手に落ち込んでたのか?幻影と戦っていたのか?と思いましたが、同じ疎外感があるひとを、最低一人は見つけました。

マイノリティ同士で、どちらが多数派の性質により近いか、で競うのは、意味がないと思います。
年上の院生を見つけたとき、「ぼくのほうが、多数派に近いから安心だ」という感情が、芽生えなかったといえば、正直ウソになりますが、一瞬で反省して、すごく微妙な気持ちになりました。

「マイノリティ同士で団結せよ」とも違う。
境遇に共通点があるもの同士が仲良くなるのは、全然ありですし、仲良くなりたいですけど、その団結を、マジョリティへの対抗手段にするのは的外れだと思います。闘ってどうする。

上に書いた「格上」の会社に常駐したときは、かなりミジメな思いをしましたが、所詮は会社の命令。団結も対抗もする気がなくて、「イヤなら辞めろ」だけの世界でした。配属期間の終了を、指折り待っていた。

早稲田大学は、マイノリティへの配慮がなされています。彼らの想定しているマイノリティのなかに、「社会人の大学生」が含まれているかは不明ですけど、「年齢が高い」というのも、ハンディキャップの一種になり得ますから……総じて、配慮の雰囲気があるのは嬉しいです。

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