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ライフワークの独自性と成立性を練り上げる、5つの問いに答える

佐藤です。会社を休んで三国志の研究をしています。2ヵ月間の春休みも終盤戦。京都の二条城そばのホテルに泊まって、内省中です。この内省は、ポエムのようで恥ずかしいし、身を切られる思いでしんどいですが、チェックアウトまであと1時間半。時間制限を利用して書いちゃいます。

5つの問いとは

21世紀前半、自分はどのように生きるか。どのように働くか。
この問いは、「自分はどのような問題を解決したい人生だった」かに置き換えることができる。

自分が設定した問題に、価値があるのか。いまの時代に、独自性と専門性をもって取り組めるか。
もっと平たく言えば、自分が幸せになり、かつその使命によって生命が成り立つか(社会からの承認・報酬を受け取れるか)。これをチェックするには、5つの問いを投げかけよと。

1.それによって誰が幸せになるか?(=ユーザーいる?)
2.なぜ今その問題なのか。なぜ先人はできなかったか
3.過去の何を受け継いでそのアイディアに到達したのか
4.どこに行けばそれができるのか
5.実現のためのスキルは他の人が到達しにくいものか

参考文献はこちら。前置きが長くてすみません。ライフワークと向き合うための準備運動であり、あと、これから書く記事は、時間を隔てて見返すことになると思うので、文脈や関連情報を残しておきたい。

ぼくのポジショニング

ぼくは、文系学問をやりたい。そのために会社を休職して、早稲田大学の大学院に入学します(入学まであと1週間)
個人の関心、「自己満足」においては、「三国志の研究(の勉強)」ができればそれで満足。ただし、ぼくが今から三国志研究の第一人者、すなわち「天才」になることは不可能。ライフワークとして筋が悪い。なぜなら、経済的な不安から、ストレートで進学することができず、会社員として15年間も過ごしてしまったから。

だから自分の社会における位置づけ(ポジショニング)を少し調整して、文系学問とそれを支えるお金の問題(好きなのに食えないからといって、みんな辞めちゃうのは勿体ない!)について、ぼくは自分を実験材料にして取り組んでる。……と定義しなおした。

このnoteの上に(霊のように)おろした人格は、この問題に取り組むものとしての私(佐藤)です。
より正確に言うなら、当初(アカウント開設時)はそこまでの見通しはなかったが、noteを書きながら、そのような人格が自分のなかに存在することに気づいた。水をやって(記事を書くことを通じて)育てたら、すくすくと大きくなっているし、筋がよさそうだぞと。

どうして筋がよいと感じるのか。この人格、つまり文系学問とお金をめぐる「問題」に取り組むというぼくの「設定」が、上の5つの疑問に答えられるのではないか。と思ったからです。
逃げず隠れず、サボらずに、5つの問いに答えてみましょう。

5つの問いに答える

■1.誰が幸せになるか?(=ユーザーいる?)

文系学問が好きで、大学時代に文学部などを選んだが、研究を職業にすることなく、一般企業やお役所に就職した成人。
就職したことは、極めて現実的な選択ですし、ぼく自身も同じ。しかし、18歳の時点で文学部(文学部にこだわらない。要するに「食えない」学部)を選ぶということは、その分野が好きだ。趣味としてでも、継続したいと思っているひとはいるだろう。

大人になってから文系学問に興味を持ったひと。
ぼくの身の回りでは、大人になってから三国志に興味を持ったが、調べる方法や手段がないから、関心の広げ方、仲間の見つけ方、仲間を見つける場、モチベーションの保ち方が不案内なので、ガッカリしている。

日本の1億人だけじゃなく、世界の70億人から、同じモヤモヤを抱えている、在野研究者(予備軍)と助け合ったり、お金を回したりできないか。そのためには、英語がだいじだなと、最近思いました。※遅い

■2.なぜ今その問題なのか。なぜ先人はできなかったか

見落としがちだが、インターネットの発達。回線の常時接続だけなら、10年前から実現されている。スマホも既知の道具となった。ただし、ネットの恩恵を十分に「独学」に活かすことは、意外と行われていない。やり尽くされていない。

昨日買った本で、著者は少し上の世代だが(上の世代だからこそ書ける)、ネット発達以前・以後のうれしさをきちんと表現している。2022年2月の新刊。著者の佐々木氏も「『知』から遠い人生を歩んできた、大学教授でも何でもないフリー・ジャーナリスト」として活躍している。

ネット上の情報が充実している。技術の発展は、ほぼ成し遂げられたが、利用する側が使いこなすフェーズに入っている。

早稲田大学の図書館は、稀少な資料を保護するために、全ページのウェブ上での開示を進めている。

感染症により、研究機関がウェブ上で講演会を開いている。これは新しい動き。大学の先生が、ウェブ上での講義や演習(ゼミ)のやり方に慣れた。というか、強制的にスキルを身につけさせられた。

youtubeのように、無料で動画(=講義のもの)をアップロードできるアプリが整った。発信する側、受信する側が慣れた。

ウェブによる決済(書籍代・聴講料の徴収など)がやりやすくなった。技術的には10年前から存在していたが、感染症によりみんなが慣れた。

クラウドファウンディングもしやすくなった。だいじなのは、お金を受け取りたい側が利用したいだけじゃなく(そんなのは、ただのエゴだ)、お金を払いたい側の抵抗が薄れたこと。

なぜ先人ができなかったか。これにはもう1つあって、「人生100年時代」という旗印がなかった。オトナの学びに対する社会の理解が進んだ。

これまでも「生涯学習」という言葉があったが、お年寄りがカルチャーセンターにいって時間をつぶすもの……ぐらいのニュアンスしかなく。カルチャーセンターは楽しいところですが(ぼくも行ってた)、本気度が社会的に認知されていなかった。

■3.過去の何を受け継いでアイディアに到達したか

独学を応援する。独学をがんばろう。というメッセージはすでに発信されていて、近年もよい本が出ています。
ぼくのオリジナル!!ではない。オリジナルじゃないからダメなのではなく、「ニーズとマーケットはある」という保証になる。

ただし、独学者として紹介されているひとたちは、めちゃめちゃ「タフ」です。エネルギーと忍耐力にすぐれ、再現性がない。ぼくも、そこそこ頑張るほうだと思いますし、頭のでき?は最底辺ではないと思いますけど、恐れて遠ざかりたくなる事例ばかり。
出版時期によって仕方のないことですが、紹介されている事例では、感染症によるネット利用の進展を織り込んでいない。

■4.どこに行けばそれができるのか

自分が大学院にいく。ぼくの場合は早稲田を選びました。

勘違いされることがありますが、独学者・在野の研究者というのは、大学院や正規の研究者を「憎む」ものではありません。「うまく利用し尽くす」ひとです。それは、上の本でも紹介されていること。

研究のプロの養成コース(大学院)に、身銭と時間を切って進み、授業料を支払って受講することが、「利用し尽くす」最短ルート。独学者が研究をするにはどうしたらいいか??という発信(ノウハウ共有)に厚みと真実味が生まれ、正しさを獲得できるのではないか。

■5.実現のためのスキルは余人が到達しにくいか

(程度の問題はあるが)受験秀才。これがスキルその1。
正式に入学をする前から、研究者と会話をさせて頂いたり(門前払いをされなかった)、学問に関するお仕事を頂けたのは、大阪大学(国立大学、いわゆる「旧帝大」)を卒業しているから。
受験に慣れているから、大学院の入試は1ヵ月でクリアした。「いい学校」を卒業しているから、在学中に良質な教育(論文指導)を受けることができ、「三国志ファン」と「三国志の研究者」の越境というか、往復することがやりやすくなった。

大学院で師事する先生に言われたんですけど、「ひろおくんは物怖じしないよね」と。文脈的に皮肉ではなかったはず。
自分のアタマ?を信頼して、初めて出席のときから、大学院のゼミで発言していました。もちろん、内容の妥当性はつねに反省してますけど(破滅的に的外れだったらどうしよう??)、性格もスキルのうちか。

会社では経理職。スキル2。
文系学問からひとを遠ざけるのは、カネです。カネにならないから断念する。ぼくは、カネ勘定が好きだし、カネの流れを分析したり、構築したりするのが好き。これが「裕福なおじいちゃん、有閑階級の郷土史家」と違うところです。

また経理職は、業務の「仕組み」をつくる職種。学びも経験も多い。再現性のない独学のノウハウを、マニュアル化する。あわい職人芸を、無味乾燥な手順書として書き起こす。高尚なことを言語化し、現実世界に引きずり出すことを得意としている。呼吸をするように、noteの記事を書けるのもこれかも。
脱魔術化・脱呪術化・脱魔法化。参考文献にした落合さんと真逆かも。だれにでもできそう、に価値を求めている。

在野の文系研究者を支える何か(まだ中身はない。いまは問題を設定するフェーズだから、解決策はなくていいはず)を組み立てるとき、お金に対して苦手意識がないのは、きっと有利だし、めずらしいスキル。
文系と経理という組み合わせで成功しているのや、山田真哉先生ですけど、同じことを目指しているのではないので、だいじょうぶ。

貯金と資産運用。スキル3。
活動を支えるためには、自分自身に先立つものが必要。生活に困らないカネがある。資産をそこそこ増やすことができる。

貯金スキルを分解すると、「独身・子無し」(でも幸せでいられる)というスキルもある。
スキルなのかよ??って思いますけど、配偶者による制止(いわゆる「嫁ブロック」)は受けないし、本来?は子供のための教育費を、自分自身に再投下・循環投資できる。それもどうなんだ、という気もしますけど、それを容認する風潮も、今の時代ゆえの後押しでしょうか。※時代を味方につけるという思考法で解決していくスタイル。

貧弱な消費行動でも幸せになれて、独り者でも幸せになれるのは、これは一種のスキルに数えてもいいと思うんです。いいじゃん(笑)

やべー。あと9分でチェックアウトだ。終わります!!

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