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「やりたいことが仕事にならない」という悩みは間違っている

佐藤です。土曜も土曜とて平日と変わりなく、自由時間は24時間。
ちょっと前にみてた本を、読み返してます。

今回は、「やりたいことが仕事にならない」という悩みは、前提からして(問いの立て方からして)間違っている。という話をさせてください。

たとえば、球技(ボール競技)が得意なひとがいて、
・野球のプロ・ボウリングのプロ、どっちになる?
・「ストライク」を取って勝つには?
を同時に悩んでいるとします。

ボウリングは10回「ストライク」を取れば(1投でピンを全部倒せば)勝利確定。野球は「ストライク」を取っても(まんなかにボールを投げ、打者に打たれなくても)勝ちとは限りません。
ボウリングの「ストライク」のほうが、コスパがいい。打者との相性や、仲間のミスなどの不確定要素が少ない。よしボウリング選手になろう!

……という判断は、明らかにダメだ、と分かりますよね。
そもそも、野球がしたいの??ボウリング??

この比喩は、さっきぼくが思い付いたんですが。読んでたのは、

八木仁平さんの『世界一やさしい「やりたいこと」の見つけ方_人生のモヤモヤから解放される自己理解メソッド』です。

軽い本だけど内容が多岐にわたってて。ほんの一部を、ぼくなりに噛みくだいてみたいのですが、八木さん曰く、
・「やりたいことが仕事にならない」は間違い
・「やりたいことは自分のなかに。実現手段は社会のなかに」

「実現手段は社会のなかに」って、どうもよく分からないですね。※ぼくの理解力が朝から死んでるのか?

さきに「やりたいこと」を自分で選択せよ。
「やりたいこと」を定めた後、その成果を人さまに届け、お金をいただき、生計を立てる方法は、外部環境が決めているよと。

「やりたいこと」が定まらないのに、コスパがいいか?やりやすいツールが提供されているか?いまの流行か?もてはやされているか?という観点でやることを選ぼうとすると、ワケが分からなくなる。

「やりたいことが仕事にならない」という悩み方は、本来なら別のことを混ぜて悩み、もしくは考える順序が逆転していますよと。

何がやりたいか(ボウリング?野球?)は、自分のなかにしかない。得点・お金への変換法(ストライクの成績を、勝利・評価に結びつける方法)は、ルールが決める。他人に習える。
ボウリングか野球かを選ぶ前から、「ストライクを取ったときのコスパ」を考えているから、頭のなかが混乱する。

たとえば、「noteというブログサービスは、かんたんに支払いを決済する機能があるらしいよ。記事を書けば、読者からお金を集められるんじゃない?」と考え、noteを始めるのは、「仕事になる(お金が入る)から、やることにしよう」の思考。混乱している。続かない。

書きたいことがある。もしくは「書く」という行為を、自分のためにしたい。これが先に決まっている。いま、使い勝手のいいブログサービスは何だろう??と探したら、noteが見つかった。noteを始めよう。
と、段階を分けるのが、八木さん的な正解ですし、ぼくも賛成です。

ぼくの場合、文系学問をしたい!というのが先にあって、学問をしているにもかかわらず、生計を維持する方法・本を買いまくっても破産しない方法を考えてます。もうかるから、資産形成ができるから、文系学問をしてるのではないっす。※むしろ自滅の道でしかない。

同じことを裏返せば、「仕事にならないから、やりたいことを諦める」も誤りに近い。せっかくやりたいことがあるなら、仕事にする方法を必死に探せよ。ゼイタクな悩みだぞ!!ってことになるかも?

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