大学院生がインターネットで発信してよいものか
佐藤ひろおです。早稲田の大学院生(三国志の研究)と、週4勤務の正社員(メーカー系の経理職)を兼ねています。
ぼくはツイッター(X)で、研究対象である三国志について話すことがあります。youtubeで三国志の話をすることもあります。たとえば、
https://note.com/hirosatoh3594/n/nb8372e70c054
この記事では、インターネット上で研究に関係がありそうな発言をすることの意味(可否・是非)について書きます。
大学院生における研究テーマについては、どうなのか。
ウェブ上で生半可な発言をすべきでない、という意見があるでしょう。 もちろん正しい。
しかし人は、はじめは生半可にアウトプットし、だれかに誤りや不足を指摘されて当事者意識(もしくは危機感)を持ち、そこから学習することで知識や見識の弱み・穴が急速に埋まるものだと思います。
大学院生にとって、ネットはアウトプットの機会の一つであり、学習が促進されるという効果が期待できなくもない。
ぼくは大学院などの「教室」で、物怖じせず恥知らずなレベルに発言するほうなのですが、不足点が多いので冷や汗をかき、復習して穴をふさぐことが多いです。
「ウェブは『教室』じゃない。社会の公器である」 というお叱りはごもっともで、敢えて(利益や政治活動のために)フェイクを流すのはNGですが、興味があることの発信を重ねると、学びが促進されると思います。
大学院生なのに不特定多数が見る場所で不確かなことを言うな・書くなという指摘は無論妥当です。
「研究者」にとって「論文」は出力手段として別格であり、極めて重要です。ぼくもインターネット上に自分の論文を無断転載することはしないし、論文の内容そのままの話はしません。
あるひといわく、成果は論文によって(のみ)外部に示されるべきであり、研究の途中で分かったこと(データや資料の読解)についても、論文を通じて社会に提供されるべきだ。指導教員のチェックや学会などの機関の査読を経ていない誤りを含むものを垂れ流すことは学術界全体に対する冒瀆であり、あなた自身も得をしない(アカデミアでの就職を遠ざける)と。
こういう意見もあるでしょう。
むしろ良識派であり、常識的なご指摘です。
これもその通りなんですよね。
ただ、終身雇用の教授になるまでは論文以外の一切の発信が許されず、たとえ終身雇用の教授というポストを得ていても、一般に向けて情報発信をすると後ろ指をさされる世界であれば(あくまで仮定形でお願いします)それも窮屈だなと思うんです。
大学院生の「ぶんざい」で、こんなことを心配する必要はないかも知れませんが(心配することだに「不遜」とされますが)、ネットで検索しても面白そうな情報がヒットしない分野は、興味を持つ母集団が形成されず、書籍の購入者、大学の学部やコースへの入学者が減るのではないか。
ぼくのネット上での発言は、院生以前の人格(三国志ファン)という位置づけで、研究の中核から逸脱した話ばかりです。
「三国志ファンの自分」「ネットで発信したがりの自分」という人間がさきにいて、その一部の人格が大学院生になったのであり、それ以外の部分はまだまだ残っている。なんなら、大学院生としての人格は、全体の2割か3割ではないかと思います。
詭弁ですね、異端ですね。反省すべきですね。ごめんなさい。
大学院に入学した途端、インターネット上の(研究分野を想起させる)痕跡をすべて削除するのが大学院生の標準的な行動です。
ぜんぜん研究と関係がない、ネコちゃんブログとか、ラーメン食べ歩き、ゲーム配信などは残せますが、それですら個人が特定できないように念入りに隠します。「ネコを飼うなんて、いいご身分だな」「あいつは研究もせず、ラーメンを食べている」と批判されるからです。
それももったいないなと思いますけど、どうなんですかね。
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