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好きなことを仕事にするとどうなるか/ああ趣味がほしい

佐藤ひろおです。会社を休んで早稲田の大学院生をしています。
三国志の研究を学んでいます。

ぼくは会社員を10年以上やりながら、三国志の勉強という「趣味」がありました。「好きなことがあっていいね」とうらやましがられた。「ああ趣味がほしい」というひとの気持ちが理解できなかった。

シュミの三国志の勉強を本格的にやるために、会社を休職して大学院に通っています。「好きなことに熱中できていいね、すごいね」と言われます。自分としては、相応の代償(会社での将来性、時間・お金)を支払っているので、いいことも、すごいこともないだろう、という気持ち。

集大成の報告準備ができた

明日、大学院で研究報告をするんですけど、わりと集大成のつもりです。研究として価値があるか分からないけど(分からないからゼミで指導を受けるのだ)、勉強してきたことを、わりと詰め込めた。これまでのことが噛み合ったと感じる。
べつべつに進めてきた読書の成果が、結びついたと思う。

研究でもビジネスでも趣味でも一緒ですけど、相互に関係のないことを、支離滅裂に並行してやるよりも、自分のなかでシナジー効果やコラボ効果があらわれると有利だ。一石二鳥・一石三鳥はうれしい。
仕事Aの経験が、内容の異なる仕事Bに活用できたり。趣味Cの知識が、異なる分野の趣味Dの上達に益したり。趣味Dのスキルが、仕事Aに生きたと思ったら、仕事Aの人脈のおかげで趣味Cを極められたり。

ひとりの人間がやることだ。完全にランダムで無関係であることのほうが難しいのかも。
だとしても、うまく繋がった瞬間は、すごく嬉しい。うまく成果を再利用・二重利用できれば、ライバル?他者?を圧倒できるかも知れない。

会社でも同じです。
事業Aで傾いた会社が、そのノウハウと人材を巧妙に転用し、事業Bで不死鳥の復活を果たす……とか。社長のゴルフ仲間が、じつは隣接分野の技術者であり、引き抜いたら業績が好転した……とか、美談でしょうな。

ああ趣味がほしい

ところが。これまで別個に進めてきたことが1つに繋がって、相乗効果を生み出した!!という直後、どう感じるかというと、「ああ、趣味がほしいな」となりました。
利害ぬき・損得なしでやってきた活動が、(期せずして)相乗効果を生んでしまった時点で、その活動たちは、別の活動のいち手段、準備作業になり下がるんですよね。

顕著な例では、中国語の勉強。
じつはぼく、そんなには中国語はキライではなかった。「国交回復」後は中国に旅行したいんですよ。旅行者として、現地でぼくの中国語は通じていたから、最低限の自信はあった。
18歳~19歳のとき、大学の2年間やっただけ。それほど熱心な学生ではなかったが、20年をへて、その中国語のスキル(と呼べるかも怪しいが)が残っていた。好きな三国志と、親和性が高いから。

中国語を利用して、大学院の入学試験に、1ヵ月だけの勉強で合格した。海外赴任の経験がない会社員としては、けっこうな快挙のはず。語学をネックにして、受験をあきらめる社会人は多い。
いくつかの大学で、社会人の大学院生を増やすための施策として、「語学の試験の免除」が検討されることもあるほどだ(本で読んだ知識)。

しかし、入試に中国語を利用し、単位集めにも用いると、いま中国語はクソつまらんのですよね。
ウソや誇張ではなく、大学院の中国語の単位を集め終わったら、中国語の勉強を始めたいと思っている。単位を取るまでは、なるべく中国語を見たくも聞きたくもない。最小限のコストで、ゲームをクリアしたい。

人間の生存戦略?

そういうわけで、大学院のゼミの報告(三国志)に向け、集大成のような内容が出来上がって、つぎに何が起こるかというと、利害ぬき・損得なし・目的なし、でやってきた楽しい趣味が、長い長いto do listをつぶすための道具になり下がってしまった。つまらなくなった。

むずかしいですよね。星と星を結んで星座になるように、うまくつながった!!と思った瞬間、これまでの面白おかしい趣味が、「to do listの一部」に吸収される。

大学院の授業も、ひとつひとつは面白そうな内容。もしも会社員としての自分が、週に1コマ出席していいよ、と言われたら、ヨダレを垂れ流して、嬉々として出席したものばかりだと思うんですよ。
でも、所定期間に、所定の単位数を揃えろ!!っていうミッションのなかでは、すべてがつまらない。to do listの1つなので。

よく、「好きなことを仕事にするな」って言いますけど、このあたりに関係するのではないか。
「趣味は、カネを払ってやること。仕事は、カネをもらってやること。趣味だから、好きにやれるのだ。もしも趣味を仕事にしたら、成果を求められるからつまらなくなるぞ」というお説教を聞いたことがありますけど、あれはウソだと思います。少なくとも、ぼくには当てはまらない。趣味を転じて仕事にしたら、より一層、成果を出すために努力するし、成果を出すことができるでしょう。少なくとも、イヤイヤやっている現状の仕事よりは、よほど熱意をもって取り組めるだろう。

そうじゃなくて、人間の生存戦略?として、
興味関心・注意力を、どこかに一点賭けして集中すれば、(環境が変化したときなどに)生き残れる確率が下がる。適度に飽きて、気が散るようにできているのではないか??と思っちゃいます。

たとえば、動物を取るのが得意な縄文人がいた。狩りとは別に、植物の観察が「趣味」だった。スキルが組み合わさって、同じ地域で食べられる木の実の種類を発見できた。すると、植物の観察という趣味に飽きた。木材加工という趣味ができた。この地域の植物のつるは弾力性があることを、以前の趣味で知っていたから、弓を作ったら、動物の狩りにも使えた。木材加工の趣味が、「狩りの道具製作」という仕事の一部になったから飽きた。星の観察が趣味になった。暦法の知識がついて、植物の実がなる時期を予測できるようになった。ついでに、植物を食べにくる動物の動きも予測でき、弓で効率よく仕留められるようになった。星の観測がただの仕事、to do listになったので飽きた……。という感じで、順番に気が散る。

趣味がほしい。なにか楽しいことないかな。そんで、めぐりめぐって、経理の仕事とか、三国志の研究に役立ったら嬉しいな。そしたら、また飽きちゃうと思うんだけど、そしたらまた趣味を探せばいいよな。

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