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残業による「学びのリスク」

佐藤ひろおです。早稲田の大学院生と、週4勤務の正社員(経理職)を兼ねています。三国志の研究を学んでいます。

中原淳+パーソル総合研究所『残業学 明日からどう働くか、どう働いてもらうのか』という本を読んでます。

残業について語るのはタブーだ

まず、「残業」というものをタブーの領域から引きずり出して、言語化して「残業観」を明らかにしてみましょう、残業に関する数字・データを見てみましょう、、というところから本が始まる。

そうなんですよね。
日本?では「サラリーマンの給料」と同じで、残業はタブーになっている感じがします。良識ある大人、常識人、あるいは組織のなかでうまくやれるひとは、給料や残業について語るのは自粛すべきだ、というムードがあります。給料は労働の対価です。残業は、超過労働ですから、「マイナスの給料」みたいなもの。給料がタブーならば、残業もタブーにしないと「おかしい」んですよね。タブーの領域には、それなりに整合性があるのか?

いやいや、わたしの勤め先は15分単位で残業代が支給されるから「マイナスの給料」ではないよ、、みたいな話を、おっぱじめようとしたら、もはやタブーのやぶに踏み込んでいますよね(笑)

残業というのは給料と似ており、「自分にとって当たり前」のことを言っただけで、なぜか優越感の表現(マウントを取った)になったり、卑屈や悲嘆の表現になったり。
業種・職種・会社のあいだで分断があおられ、また経済状況や世代(時代)による分断を生み出します。下手すると、能力の優劣の話題と直結したり、働き方(健康・家族の状況)、ライフスタイルや労働にまつわる価値観、経済観念まで織り込まれてしまいます。
そりゃあ、タブーになりますね。
残業の話をするなんて、給与明細と銀行の口座残高をさらすよりも、露出狂というか、露悪的な行為なのかも知れない。

残業をタブー視せず、残業をたくさんやることのリスクを洗い出してみよう、という部分が上記の本にあるんですけど、、そのなかに、「学びのリスク」があげられている。

残業による「学びのリスク」

残業とはすなわち、現状の業務、現状の役割に、たくさんの時間と労力を投入するということ。いま、うまくいっている、もしくは、いま、やらざるを得ないから、残業をするんですよね。
「やればやった分だけもうかる」とか、もしくは、「やっておかないと最低限の責務をまっとうできない」というとき、残業をします。

しかし、いまもうけを生んでいる、もしくは、いまやらざるを得ないことっていうのは、現在に最適化されている行為だ。裏を返せば、未来に向けて最適な行動か?というと、そうではない。

会社全体のレベルでも、個人のキャリア形成、個人の学び(自己啓発も学問の研鑽も含む)においても、現状=目先の業務、役割を果たし続けているだけでは、未来がないんですよね。こいつは、困った。

会社ならば、「流れ作業で、製造行為だけをする部署」と、「研究開発をする部署」に分けているだろう。製造が下で、研究開発が上だと言いたいのではないですよ。どちらも必要だと思います。
製造部が利益をたたき出してくれないと、研究開発費にあてる資金を捻出することができない。

会社員としての個人ならば、定時内は目先の業務、現状の役割を果たすことに注意力・労力をすべて振り分けるのが、勤め人としての「誠意」だろう。しかし定時外は、企業でいうところの研究開発のようなことをしないと、先がない(かも知れない)。没入感をともなって、残業している場合ではない。
これは、残業代が支給される・支給されないという区別とはまた別の話です。むしろ残業代がきっちり支給されるほうが、目の前の役割をがんばってしまうので、キャリア形成や学びにとっては、マイナスかも知れない。年俸制だとか、見込み残業だとか、管理職だとかで、残業した時間がまるまる「マイナスの給料」になっているほうが、業務をぶった切れるかも知れない。ただし、「コスト意識の醸成」のために、もらってもいいはずの残業代を手放すというのは、歪すぎる判断だと思いますが。

大学院の学期に置き換えると

あと1週間で、大学院の春学期(上半期の授業)が終わります。
夏休みがあっても、せいぜい1週間の「会社員」脳に照らすと、おいおい終わるのが早すぎだろう、、と思うわけですが。

毎週、先生の話を聞き、細かくフィードバックをもらう学期中とは、授業時間が「定時」であり、予習復習は「残業」です。単位を取るために必要なレポート作成も「残業」に感覚が近い。毎週、先生が目の前に現れて、いろいろ教えてくださるわけなので、授業の内容に密着せざるを得ない。関係ない本を読んでみよう、、とはならない。
もしも、年間12ヶ月、きっちり授業があったら、超過勤務の猛烈サラリーマンみたいな学習のスタイルになり、視野を広げる、土台を広げるような読書ができないし、自分の研究テーマと向き合うことができないんです。

「4ヶ月が授業、2ヶ月が長期休暇」を2セット回すと、大学生・大学院生の1年になるわけですが、これぐらいの緩めの配分により、「残業し過ぎない」会社員のメンタリティに近づき、未来への仕込みができそうです。

超時間の従事(現状の役割や眼前のタスクに没頭すること)は、えらい!えらい!とは限らず、かといって、見下されるべきことでもない。。
このあたりのサジ加減を、「残業」をキーワードに見直せるかも。

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