研究報告うまくゆかず/100倍以上の経験の差

昨夜は研究報告をしました。

仕込み5年、構想4年、直接的な準備1ヵ月ぐらいです。仕込み5年といいましたが、ずっと同じことをしていたわけじゃなくて、5年前にものすごく時間と精力を注ぎ込んだことがあるから、せっかくなら研究という形でも発表できないか。何か言えないか。という利己心というか、「一石二鳥」を目指したものであります。構想4年というのは、その精力を注ぎ込んだときに、ずっと自分のなかで引っ掛かっていることがありまして、いちど同じ先生に研究報告というかたちで見て頂いたことがあったんですけど(当時はメールで)箸にも棒にもかからないというか、全然かみあってないし結論もちぐはぐだろうということで、自分のなかで勝手に挫折して眠らせてしまったんですね。メールでピンク色の文字でたくさん書き込みをして頂いて、こりゃあ見込みがないので別の話で…という感じ。
大学院の授業に出るようになって、いろいろピントが合ってきた気がするし、5年前の作業が世間に発表されたので、リベンジを試みたというのが個人的な動機です。4年前にコケたことも、そろそろ骨を拾って新しい生物を組み立てることができるんじゃないかと。ずっと拘っているのは、「歴史記録のなかに、どうしてこんな無意味に思えるものがあるんだろう。いや何か意味があるに違いない」という違和感に、何らかの意味を与えたいという感じです。もしこの無意味なものを別に読まなくてもいいんだったら、ここまで拘らなかったんですけど、これを全文読む「チャンス」があったから、そこから逆算して言えることがあるんじゃないかと。

研究発表していろいろコメントをいただいたんです。自分なりにベストのつもりで挑みましたから、「いい内容!」っていう評価で終わるが最高には違いないんですけど…、自分の研究に関して思ったのは、
試行錯誤の回数の不足!!
でした。いろいろなコメントは、内容に対するものだったんですけど、ぼくが自分に感じた課題は、もっと別のところでした。せっかく内容についてコメントをいただいたのに、反省点が内容じゃないのかよ、というツッコミが入りますが(自分から)、正直なところ、内容の良し悪しに命運をかける段階にないし、「失敗」できる環境に感謝したいなと思ったのです。

考えてもみてください。
大学生のときも含めて、研究発表をした回数って、恐らくまだ1ケタです。10回弱。数え方を変えれば、10回は超えるかも知れませんが、恐らく20回はいっていないし、30回は絶対にいってない。
資料を読んでいて、仮説を立てて、論証できるぞ、いけるぞって興奮して、材料を集めて固めて、それをまとめて発表して、先生や院生に聞いて頂いて。前提の置き方、主張の内容、説明の持っていき方について、自分は良いと思ってやったことでも、他者の視点が入ると、伝わること、伝わらないこと、キラキラ輝いていると思ったらサッパリ刺さらないこと、なにげなく必要なブロックだからそこに積んだだけなのに、ものすごく褒めてもらえることなど。「理不尽」とは違って、そういう齟齬が、自分の研究発表において、どういうパターンで起こるのか、みたいな試行錯誤が足りてない。

そりゃそうで、社会人経験15年ぐらいあれば、プレゼンテーションとか、部署内の決裁資料、他部署への説明資料などを、何枚作ってきたんだろう。それを上司、上司の上司……に説明して訂正されたり、伝わったり伝わらなかったり、他部署や他社に見せて理解されたり誤解されたり、クレームとは言わないまでも面倒なことになったり…。そういう経験って、何回しましたかね。1000回はないかも知れない。いや、あるか。年間勤務日数が240日として、何らかの説明資料を小さいものならば数日ごとに、大きなプレゼンや交渉は月に1回ぐらいはやってますね。すると生涯で、少なく見積もって2500回はやってるでしょうね。研究発表と2桁違うぜ。
そのなかで、こうやれば伝わる、これは伝わらない、という上司や他社の目線を、自分のなかに取り込んで、だんだん「狙いどおり」の反応を得られるようになる。そりゃ、内容について合意されないことがあれば、その資料はコケるわけですが、内容についての意見対立があることが短時間で明らかになり、つぎの議論に移れるわけですから、それでOKなんです。

アイディアや論証方法の良し悪しを判定していただくために、過不足なく伝えるために、もっと研究報告でも場数を踏まなければならないなと。べつに、社会人としての「訓練」と同じように、数千回の反復練習をする必要はないでしょう。傾向がつかめれば対策ができるわけで。社会人経験のノウハウを流用すればいい。というか、今回のことでかなり「感じがつかめた」と思っています。内容については、当たり外れがあることは当然なんだけど、研究「発表」の手応えみたいなものはあったかなと。
今回の発表は、まさに「学生」としてのもので、自分なりに詰め込めるもの、詰め込みたいものは全部のせたんです。これでもだいぶ削ったり、別紙に移したりした結果なんですが、思い先行というか、独りよがりって感じです。振り返って見ると。
過不足なく伝える、ということを心掛ければ、発表準備にかける時間を短縮できる、という自分のメリットもあります。1回の発表のために、1ヵ月間、不眠ではないが、心の安まらない時間を過ごしたわけですが、「しなくてもいい苦労」がかなり含まれていました。経験が少ないから、仕方ないです。各時点でベストと思われる方法で悪戦苦闘するしかないので。

今回のような「失敗」に付き合っていただける環境にあるのはとても恵まれたことですし、批判をいただけたのも、内容の面においてもかなり前途が見えてきてはいます。
30代後半だけど、若者のように新しいことに挑戦して、「適切に」恥をかいていこうと思います。30代後半だからこそ、若者とは違う老練さ、経験の組み合わせによって、短期間で新しいことを身に着けてキャッチアップし、その道のプロを超えていけるように。まだまだ、やりようはあると思ってます。がんばりましょう。

終わって一晩たって、これを書いているんですが、起きたとき、「こんなに夢を見たのはいつぶりだろう」って思いました。夢の内容は、研究にまったく関係ないんですけど、こんなストーリーがハッキリしていて、作中(というか夢のなか)の自分が意思を行動し、台詞もきちんと話している夢って、いつから見てないんだろうと。いつもは、現実にちょっとアレンジを加えた非現実的な断片で、さしたる印象もないから寝起きとともに忘れる、ということが多かったんですけど。今朝に限って、二度寝、三度寝して見ていた夢は、とてもしっかりしていたなと。恐らく、リラックスしてというか、「体力や知力の回復」「気分のリセット」を目的とせず、ただ寝ることだけを自分に許したのって、久しぶりなんでしょうね。
べつに睡眠時間をけずって研究発表をしたわけじゃないです。時間の長ささけでいえば、たくさん寝てるんですけど、寝るときの心構えみたいなものが違ったのでしょう。とりあえず、おつかれさまでした。

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