コラボレーションの弊害/どちらのファンにも見向きもされない場合

佐藤ひろおです。早稲田の大学院生と、週4勤務の正社員(経理職)を兼ねています。三国志の研究を学んでいます。

現代?のマーケティング?では、「コラボレーション」が盛んです。どちらのファンも取り込もう、どちらのファンからも買ってもらおう、という供給者側の気持ちは、ものすごくよく分かります。
youtuberは認知度を上げるために、頻繁に「コラボレーション」をやっていますね。しかし、「コラボレーション」は、必ずしもよい結果を生まない。というパターンを2つ見たので、メモをば。

たとえば、カツカレー。カレーの上にトンカツを乗せたものです。
これって、供給者の目線では、「カレーが好きなひとも、トンカツが好きなひとも、どちらも満足できるから、最強の食べ物じゃん!」と思いがちですが、そうでしょうか。
算数の「集合」の概念だと、「カレー好きまたはカツ好きのひと」という領域の足し算になることを(供給者は)望みますが、現実はそうでしょうか。実際に注文する場面を考えてみると、
「カレーは好きだけど、カツがいらない」
「カツは食べたいけど、カレーはいらない」
であり、「カツカレーが食べたいひと」しか注文しません。「カレー好きかつカツ好き」の人しか、買ってくれないんですね。カレーにカツが無かりせば、カレー好きは買ってくれただろうに。逆もまた然り。

たとえば、個性的?でファンの多い?映像監督?が、三国志を題材にしたコメディー映画?を2019年ごろに発表しました。「監督が好きなひとも、三国志が好きなひとも、どちらも取り込めるから、最強の映画じゃん!」と供給者は思ったかも知れません。
しかし、この映画を見たという三国志ファンと会ったことがないんですよね。話題性が高かろう、言及するのはマナーだろうと思ってタイトルを口にするんですけど、「ごめんなさい、ぼく、見てないんです」「あ、私もそうでした」「私もです」「じゃあ、この話、やめても大丈夫ですね」というやりとりを何回も経験している。
三国志ファンは、「監督が好きなひと(だけ)が見る(見ればよい)作品だろう」と推測しておりますが(作品を見ていないので推測せざるを得ない)、もしもその監督のファンが、「この映画は、三国志ファンが見るものだろう。今回はスルーでいいや。歴史物とか、よく分からないので」と思っていたとしたら、商業的には大失敗です。
※内容を批判したいのではない。見ていないので。

カツカレー専門店は、「カツ好きも、カレー好きも買ってくれる。最強の食べ物だ」と思っているが、カツだけがほしいひと(帰ってパンに挟みたい、帰ってカツ丼を作りたい)は買わないし、カレーだけで満腹になるひとも買わないだろう。

コラボレーションの失敗例として、ぼくが見ている中高年向け?のyoutubeチャンネルに若手が乗り込んできて、「皆さん、ぼくのこと知らないんですか?登録者○百万人ですよ」と中高年のチャンネルの出演者・制作者を「いじって」いくんですが、、好きなチャンネルの出演者・制作者がバカにされている様子なんて見たくないし、だれだか分からない「偉そうな子供」なんて見たくない。
チャンネル運営者は、「あの若者に人気のyoutubeチャンネルとコラボができたぞ!」と、供給者目線で大成功を確信したはずですが、ぼくは、そのコラボ動画だけは見てない……という。

いやいや、偏屈すぎるだろ!という批判はあるでしょう。

注意経済(とりあえず気づいてもらうことが至上命題)なので、コラボレーションは必ずしも悪手ではない。「内容はすばらしいのに、まだ気づいていないひとがたくさんいるから、認知される範囲を広げるべき」というのは、ものすごくよく分かります。
カツカレーは胃にもたれますが、「フォロー」「チャンネル登録」のような、出費ゼロの行動を誘発するには有効でしょう。しかし、安易なコラボや領域拡大は、印象が微妙なことが多いです。黙祷。

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