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生活から認知の不協和、不協和音をなくすだけで生産性はあがる
こんばんは。佐藤大朗(ひろお)です。会社を休んで、三国志の研究をしています。今日は、大きな仕事をひとつ達成しました。ひとりでやっていることではないので、開けっぴろげに成果を書けないのがつらいところ。
ところで、皆さんは生活のなかで、
「辞めたいと思っているけど、つい続けてしまっている」
「好きじゃないけれど、好きな振りをしなければならない」
「変だと思っているけれど、悪口を言うことは許されない」
ということはありませんか。
実際に言葉にすると、…なんと不合理なことか…。…そんなバカなことがあるものか…。って思いますけど、こういう不協和音を、ギーギーと鳴らしながら、ギシギシと生きていることは、意外と多いはず。
最初からイヤなことだけど、あえて始める…ということは、ないはずです。近代人のわれわれには、人権があります。でも、
「はじめは意味があったが、その意味が消えた」
「かつて好きだったけど、気持ちが離れた」
「自分が成長した、もしくは対象が変化してしまった」
とうことはあるはずです。
サンクコスト(埋没費用)といって、「ここまで時間やお金をかけたのだから、辞めるのは損だ」という、非合理的な損得勘定によって、縛られているかも知れません。
私からの提案(というほどでもないか…)ですけど、
意味がないこと、好きじゃないことは、辞めちゃえばいいんです。心がぱっと晴れて、新しいことに目を向ける余裕が生まれます。
私の場合、会社から一時的に離れたのが、それです。途中でつまらなく感じるようになってきた、オンラインサロンの解約も、それです。
誰かと別れる、交流や交際を辞めるというのもいいですね。
定期的にチェックしていた、ウェブサイトを見るのを辞める、遠ざけるのもそれです。
毎日というか、毎時のように、雑多なものを順繰りにチェックし、「いろいろなものに目を通している、私はすごいやつだ」と思っているならば、それは勘違いです。やめましょう。人生を損なっています。
この身軽さは、いちど体験すると、クセになります。雁字搦めでは、何もできませんからね。せっかく近代人に生まれたんです。人権があるので、使っていこうと思います。
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