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八つ墓村の呪いの正体は○○/津山事件の現地を訪問してきました

佐藤ひろおです。会社を休んで三国志の研究をしています。

タイトルとトップの写真が不一致に見えますが、ちゃんと繋がります。
年末、津山市に旅行してきました。津山市といえば、津山事件(三十人殺し)です。事件の起きた集落が、メインの目的地でした。

津山駅前に、B'zのポスターがあって、ボーカルの稲葉さんが津山市出身で、名誉市民なんだそうです。観光案内所で、稲葉さんが寄稿した市のパンフレットが330円で売られていて、買ってきました。
稲葉さんの津山時代(~高校)の話が書いてあるんですが、曰く、アメリカやイギリスの音楽が好きで、「津山のみんなも、この音楽を聴くべきだ」という使命感のもと、極限の大音量で、自宅のまどをあけ、洋楽を流していたそうです。1階は化粧品店なんですが(2021年時点も営業中)、お店にいる父母から、うるさい!と叱られていたそうで。自室にいる稲葉さん自身も、耳がぶっ壊れそうになりながら、ギリギリまで音量を上げたのだと。

稲葉さんは津山を飛び出し、ヨココクに進学し、ギターの松本さんと出会って、B'zを結成したそうです。稲葉さんは、いま57歳なので、ちょっと昔の話なんですけど、ぼくの心に刺さったのは、津山という閉鎖空間でくすぶっていて、そこを飛び出した、というところです。

津山は、美作(みまさか)の国というところで、岡山の山奥の盆地にあります。新幹線の通っている岡山駅とか、美観地区の倉敷とは「別の国」です。旧国名が違うと、全然べつの地域です。岡山から津山に行こうとすると、1時間に1本の機動車?で、1時間半かかります。
津山市の中心部に、博物館がありますが、美作・津山の歴史は、ながく固有名詞が出てこないのが特徴。法然(平安時代の僧)が、辛うじて有名人ですが、美作で生まれただけで、ここで活躍したのではない。戦国時代に、森蘭丸の実弟が城主になりますが、かれは美濃とか尾張のひとですからね。吉備の国、備前・備中・備後といっていた、いわゆる「岡山」とは、別の空間が広がっています。

津山で昭和時代に起きたのが、いわゆる津山事件、三十人殺しです。これは、山奥の集落の閉鎖空間が生み出したものか。物理的に隔絶され、戸数が少なく、移動ができない。人間関係は固定され、いちど踏み外すと、リカバリがきかない。もちろん、殺人は擁護できませんが、気持ちはよく分かるんですよね。規模は違いますけど、小中学校でいじめられ、自殺するのと同じです。当人はその世界がすべてですからね。
B'zファンには怒られそうですが、爆音で洋楽を流し、家族や近所から煙たがられていた稲葉少年は、かの事件前夜と、環境や構造が似ているような気がします。市の発行した広報誌のなかで、稲葉さんが津山の閉鎖性、息苦しさを書いているということは……、本音では、かなり含むところがあったのではないでしょうか。知りませんが。

津山城が津山の中心にあり(三大・平山城のひとつ)、その南に「出雲街道」が走っています。東にいくと兵庫に出ることができ、津山藩はこの経路で参勤交代をしていました。稲葉さんの実家は、出雲街道ぞい、城の南東にあります。
稲葉化粧品店は街道沿いですから、まだ心理的に「開けている」のですが、津山事件の集落は、そこから山の中にかなり奥まったところです。閉鎖性においては、津山事件の現場のほうがより高いです。

ちなみに、津山事件をモチーフにした、横溝正史「八つ墓村」は、一夜に三十人の殺人が起きた理由を、戦国時代の落ち武者の祟り、と解釈しています。「祟りじゃあ」と、おばあさんが騒ぐわけです。
祟りはフィクションです。
というか、「祟りじゃあ」という解釈は、まだ救いがあります。祟りめいた恐ろしさがあるとしたら、作中、「祟りじゃあ」と吹いて回る迷信ぶかいおばあさんが、最初は村落で冷笑されながらも、徐々に信憑性をもち、村人全員が、祟りの元凶と思しき人物を「仲間外れ」にし、物理的に殺そうとして、武装して家を荒らし回るシーンです。
村人たちの行動パターンのほうが、落ち武者の亡霊よりもよほど恐ろしい。その行動パターンを作り出す閉鎖性は、いまも田舎に息づいているのでしょう。※いまの貝尾集落の人々に、ぼくが何かをされたわけではありません。環境と人間心理の組み合わせが、然らしむるところかと。

八つ墓村の呪いの正体は、田舎の閉鎖性です。 #ここが結論

なんでこんなに熱心な記事を書くかといえば、場所はちがいますが、ぼくが育った「実家」も、閉鎖的な農村で、外部の文化を遮断し、人間関係がこじれると地獄が待っていそうだったからです。ほうほうのていで、大阪・名古屋に脱出して現在に至る、というのが自分の経歴です。
さいわい、いじめられる前に脱出できました。ですから、殺人事件を起こそうと思ったことはありません。洋楽が好きだったわけでもないので、爆音で流していたこともありません。しかし、三十人殺しに至る、気持ちの筋道は想像ができます。ヨココクに逃走?し、いまだに含みがあるような文を寄稿する稲葉さんの気持ちに、かってに共感します。
稲葉さんはヨココクで、ぼくは阪大。逃げ方も似てます(笑)。

今回、津山にわざわざ行ったのは、ふだん見ているyoutuberのひとりが津山出身で、やはり地元の閉鎖性に耐えられずに、高校卒業とともに東京に抜け出したひとで、地元とうまくいっていないと頻繁に話すからです。かれ曰く、津山では、津山事件じたいがタブーであり、口に出すことが禁止であるだけでなく、情報も何も得られないから、津山出身のひとは、かえって何も知らないそうです。
まるで「八つ墓村」の世界観ですが、この証言者はぼくより年下。「津山」は健在なんだな、って思ってしまいます。

観光する分には、とても良かったのですが、「ここで生まれ育ってごらん」と言われると、かなり遠慮したいなと思いました。津山が特別にひどいというわけではなく、田舎の一般的な傾向だとは思いますが。
大人が自分の意思で、Uターン、Iターン、Jターン、Sターンをするのは良いと思うんですけど、子供にとっては苛酷かも知れないなと思います。

どこの田舎でも、なかに住んで適応している、大多数の人々の言葉は外に出てこなくて、「あぶれた人」の声ばかりが大きいので、アンフェアだとは思いますが、少なくともぼくは田舎で生まれ育つのは、大変だったです。

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