世界に祝福を~同調圧力解放宣言

奇を衒うわけじゃない。でも、
「どうせわかりっこない」
どこかでそう思っていた。

「わかるわぁ」と共感もらっても「さすが!」と褒めてもらっても、なんだか適当にあしらわれているような気がしてどこか釈然としなかった。
しかし、確かにそこに敬意は感じるので、感謝と受け取った証に笑顔を返す。

多分あれだ、私は好きを選ぶほどに来た道を振り返ればマイナー道、、こだわりが強く深く考えるのが好きで、流行というだけで選ぶその気持ちが全く理解不能。はたまた死んでもおかしくないような事故歴とか病み歴に見るこじらせ癖もあり、、メジャー志向の人に対して「一緒にすなー!」とかいうのもある。。

いやいや、、これなかなか恥さらしね。。なかなかの挑戦よ。。

さて、、
根っからの一匹オオカミ(動物占いも狼)で、ひとりの時間ないとストレスマックスな放っといてタイプだけど、
どっかで孤独も感じていた?
ひとりは楽ちんだけど、社会的存在の部分が貢献欲満たされず悶々としてるとか?

うまく立ち回ってはいつも多くの人に慕われて、社交性の高い人気者な人に超絶憧れもあった気がする。
で、そこでは「どうせわたしは…」な拗ね子ちゃん?

「わたしはみんなと違う特別なオンリーワンよー!」と
「だからどうせ分かってもらえないいつも孤独なロンリネス…」の裏腹せめぎ合い?

というところで、時代の潮流なのか、タイムラインに上がってくる記事を
いろいろ読んでハッチャケた。

そうだわかった、
「"ほんとうのわたしはわかってもらえていない"、ということはつまり、"ほんとうのわたしでは愛されていない"と思い込んで悲しんでいたのかも!」と。
みんなわたしのごく一部、綺麗事のわたしを見て付き合ってくれている。本当はフツーに凡クラだし、ダメダメで黒い部分もあるのに。
…そもそもテメーが綺麗事に描いたんだろうが。。

ただ、そうせざるを得ない状況もあったよね。時代的に。

子どもにとっては絶大な存在である母親。当の母親もそう育てられたのだろうが、躾という名の自我封じ込め。
私が彼女の理想や期待に添えない異常性を母親だからこそ知っているだろうのに、世間の同調圧力の筆頭となって、封じ込めようとしてくる。もちろんそんなつもりなく。

「異常性」と表現したが、それは単純に一般的な期待値や偏差値からは外れる素質という意味で、時に誰かを困惑させてしまう部分もあれば、才能とか天才性で発揮される部分でもある。

もちろんどの母親も我が子の才能を封じ込めたいなんて思ってなかろう(だよね?)。ただ子の幸せを願い守りたかっただけだと思う。

そう、これは育ての親や御先祖様に対する糾弾ではない。同調圧力自体に対するアンチテーゼであり、自身3人の子の母親として、このような因襲の継承を終焉させることの宣言である。

そしてこれは私と私の子どもたちだけじゃない、あらゆる苦しみを抱えた人たちにも波及し拡がって、その才能と天才性が開花し、みなが活き活きと生きる世界になれば…という祈りがこもっている。
きっとその世界はいまよりずっと美しく、愉しいものに違いない。

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