ものづくりの楽しさと売りの苦しみ①〜マスベース思考と自尊心の狭間で

色や形を含むデザインのディーテイルを とにかく私の好き‼︎に忠実にこだわって作った子たち、できあかったものたちは私を癒し、機能性のあるものは私の生活を豊かにし、装飾的なものは私に彩やキラキラや華やかさを加味してくれる。

もうそれで満足していた。こういうのこそ欲しい!作ろう‼︎という妄想的アイデアからデザインへと具現化する工程、作っている最中のちまちまめんどくさいけどちょっとずつ形になっていくからやめられない止まらない作業、ついにできあかった時の達成感と作品に対する愛おしさ、「欲しい!」と思ってから時を経てイメージだったものが形となって実際に使えちゃってる、それを自分がやったという自画自賛ながら誇らしい感覚、、一連のすべてがものづくりの楽しさであって、それを一人で楽しんでは満足していた。

しかし最近になって、ふと、
「もしかしたら…、私のつくったものをものすごく欲しがっている人がいるのかもしれない…?!…だとしたら、広く公に売る努力をしないのは神への冒瀆に等しい(クリスチャンに非ずも悪しからず。。)哉!」
と思ったのだ。ごくサラッとふと。

過去にお店をやってオーナー兼デザインと縫製・制作、販売をしていたこともあったけど、そんな大義はなかった。「ほんとにやったらおもしろいかもー☆」とかそんなノリ。それ以外は、圧倒的につくっちゃープレゼントにしている歴史のが多かった。
プレゼントにするのは、時間と手間という私なりの愛を込められるし、気持ちが形となって見えやすいし。そりゃあそれも押し付けでしかないけれど、私的には作ったものをプレゼントとしてあげることは悦びでしかなかった。
でも一方で、買ってもらうのにはどこか抵抗感や罪悪感があった。お店で作って売ってたときですら。。

それは、値付けについての苦しみであり、劣等感と自尊心のたたかいであった。

こだわり強い(イメージを忠実に再現したできあがりにするということへの強いこだわり)だけに、素材選びにしてもデザインの精査にしても作る作業にしても、あまり要領良くないだけに、いちいち自分が納得いくものにするにはものすごい手間と時間をかけている。そこへもってお手軽なお値段で提供し続けるのは苦しい。そうなのだよ、苦しいのはそこなのだよ。

しかも、というか、方や、巷にステキで機能的なデザインながら、それはそれはお安く提供されているもので溢れている。そんなのに太刀打ちできるわけないと思っていた。(太刀打ちしようとしていた?!)

値付けには、かなり相場を意識していた。
「バッグなら1万円ちょいかなー」とか、「アクセサリーなら千円~3千円程度かな。。」とか。

しかしまぁこれ、アウトプットしてみて気付くのだけど、住んでた世界のレベル晒しよね…恥。。

でだ、
じゃあって、とりあえず決めてやってみようってなっても、
「こんなに手間かかるの、お手軽な料金で作っても自分が苦しいだけだしなー」
「かといって、安くて素敵なものの手前、相場より高い値段で提供しても、買ってもらえないだろうからなー」

という、無意識のうちに身に付けたマスベースの価値基準による「どうせ~ない」発想で、引っ込み思案になっていたのでした。。

つづく。。

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