既にある豊かさと負い目と神様目線

豊かさは求める行為によって得られるものではなく、意識の置きどころ、あるいは感じるものであって、当たり前にそこにあるものに感謝できたり、既にある美しさに感動したり、日々の食べ物を五感で味わって満喫したり、あるいは泣いたり怒ったり、もうあらゆる感情や感覚の経験なんじゃないかと腑に落ちたら、自分の生は、子どもたちのお陰も大いにあって、豊かさに溢れていると心から思った。

しかしながら、それなのに、どっかで「それだけじゃダメだ。。」と執拗にネガティブな私がいて、というか、いるのに気付いて、何なんだよおいー!と思っていたら、「生産性がない」というメッセージがきた。それは言い換えると、「経済的に稼いでない」ことへの負い目だと掘り下げて見えてきた。

「稼いでないくせに消費ばかり」とか
「稼いでないから休む資格ない」とか
「稼いでないし遊べない」とか
「稼いでないから求める資格ない」とか、、
もうこれでもかー!?といろいろ出てきた。
そしてそれは、稼ぎ頭である夫に対する負い目でもあった。

夫のビジネスのご縁もあってのことだが、フィリピンに住まわせてもらってるのは大方私の意思。だからこそ、子ども3人をほぼワンオペinフィリピンなのも負って然るべき任務。怠けたりダラダラしたり休んだりとか、あるいは「もっと欲しい」とか「こうして欲しい」とかのリクエストなど許されない!!!という思い込みが根深いことも見えてきた。

ひえー、、書き出して見てみると重い、重過ぎる。。なんという冒瀆。我が事ながら、イメージしただけで病みそうだ。。笑

しかし、「こうして欲しい」「ああして欲しい」「もっと欲しい」とか、、お願いするのが苦手過ぎる。。
なにを怯え怖がっているんだろう…
あぁ…なんかそこでダメ出し喰らうイメージが出てきた。。そりゃそうか、「稼いでないのに求める資格ない」と思ってるから。。。

「おい、本当にそれはそうなのかい?」と自問自答すると、
「そんなわけないし、今の私はこれ(家事育児に専念)がしたいことなんだー!」ときた。

さらに、
「今は、稼ぎたい彼に思う存分稼がせてあげてるんだー!」
とも。笑

確かにな、3人目が10日前に2歳になったところ、上2人の時はとうに保育園にお世話になっていたお年頃、離乳食やトイレトレーニングも完全保育園任せ。
誤解を恐れずいえば、さっさと保育園に預けて子どもたちに邪魔されず自分の好きなことしたかったんだなー当時は。子連れ参加のイベント主催したり、ハンドメイドのお店やったり、ジム漬けの毎日過ごしたり。

今思えば、この頃はまだ自由奔放にやってた独身時代の余韻引きずりながら、母親としての自分をどう当てはめていくのか、いろいろ過渡期であり移行期だったのかもしれない。

それが今は、家事育児も創意工夫の宝庫で全然飽きないし、なかなかどうして楽しい。。
3人目とずっと一緒にいても、上の子たちのように預けてまでしたいと思うようなこともなく、せっかくメイド文化のあるフィリピンにいながら、今はその手助け(3番目出産前は3年程来てもらっていた)も受けていない。とにかく3人目、早くから言葉が上手なのもあるが、可愛さ尽きず飽きない。

じゃあって、これが正解で、上2人の時は間違っていたとか、そうじゃない。子どもたちの性質も違えば、それぞれでいいと思っている。
で、もちろん「家事したくないなー」とか、イライラしたりとかも余裕である。でもそんな時は、単純に疲れてるんだな…ということもわかってきて、積極的に休むようにしている。

一方で夫はといえば、サラリーマン時代から副業として育ててきた事業を確か2人目が1歳の時に脱サラして本業に。

家じゃ寝てるかケータイで、靴下は今日も今日とて脱いだ場所に置きっ放し。そんな"できないキャラ"のパパも、ビジネスではまあまあそのスジで頑張って成果上げてる。でもだからって、「どやー!( ̄^ ̄)!」とやらない人だし、詳細も完全にお任せしてるから知らないのだけど(笑)、
大きなお金が流れるようになって、善きも悪しきも経験した彼は、とにかく以前と比べて「ハラが据わったなー」と感じる。特に私も関わるところでいうと、上2人が通うインターナショナルスクールのまとまった支払いなどをする時など。単純に、分割が一括になった。もはやつべこべ言いもしない。6年前のそれは…、ご想像にお任せするとして。。笑

それは、そんなことだけれど、ストレスは激減、妻の私にとっても、安心感というとてつもなく大きな心の後ろ盾になっている。だからこそ、安心して専業主婦できるようになったのかもしれない。

いつぞや、彼から、副業を始めた心の内を聞いたことがあって。それは、家族を持つことで生まれた"護りたい"という想いだったと記憶している。

じゃあその"護りたい"はどこで発揮されるのか、、というところ、

家事育児の戦力としては、まぁ、、家での"できないキャラ"が物語るように、正直期待しなくなった(そう、絶賛期待してはイライラしていた時期もあった)。靴下を洗濯カゴに入れるくらいしてくれーぃとは思うが。笑

今やパパの育児参加や家事分担が善きことという社会通念がまかり通る中(もちろん悪いことじゃない)で、それはいいとして、しかし、好き嫌いやできるできないで言えば、圧倒的に劣勢なのだよ、うちのパパさん、、それは世のイクメンが羨ましいほどに。。とにもかくにも、家のあらゆることに気付かない。やってもらう方もやる方も莫大なエネルギーを要する。。。

イライラもした。爆発もしたなぁ。。それがある時から、いや多分徐々に、期待することを手放したんだろう。うちのパパの良さの発揮どころはそこじゃないんだなって。

期待してできなくてイライラするそこじゃなくて、彼がコミットした"護りたい"は、じゃあって自ら副業を始めたなら、経済的な部分からなんじゃないかな…、それが彼の父性の発揮どころなんじゃないかなって。

そう思ったら、いろいろしっくりきて、イライラ激減(ゼロじゃないが)、実際大きなお金も流れるようになってきた。あぁ、きっとそういうことなんだな…って。

そう、いつも起こっていることが答えだ。

さて、じゃあなんで私はいつまでたっても「稼いでないから」という負い目に苛まれ続けているのか。
きっとそう学んできたんだろう。何度も何度も繰り返し脳ミソに染み付いて取れなくなるほどに。
そして、過去の自身の成功体験にもしがみ付いているというのもおおいにある気がしている。

しかしきっと、いまこの瞬間も過渡期なんだろう。きっと近い未来に今を振り返った時、
"あゝあの時は「いつまで古い思い込みにしがみついてるんだよぉーオレはさぁ。。」ともがいていたけど、あれもこいういことだったんだなぁ…"
みたいに懐かしんでる気がして。

最近、自分や目の前のことをふと神様目線で眺めることがあって、これもそんな感じだ。
"おいおいコイツ(私)、またしっかりもがいてるわー。いい感じいい感じーヽ(´ー`)♪"
私の神様目線は、なんのアドバイスもなく、いつもただゆるりと微笑みうかべて見守ってるだけだ。

ちなみに、この神様目線は、私が視えるとか聞こえるとかそういう霊性の高そうなやつじゃなく、「もし神様がいて見守っているのなら、こんな感じ」という、あくまで私の想像でありながら、ある種状況の客観的な視点です。

というわけで、これも家事育児の隙間をぬって、数日間にわたり書きしたためてきたところ、想定より話が膨らみ、さてはて終着点をどこに置くべか見失ってしまった。。笑

そうだ、これを書き始める前にふと想ったことがあったのです。私のもがきながら歩む経験を文字化して公開しておくことで、誰かの役にまで立たずとも、共感や気付きなどによって癒しが促されたらいいな…そういうことができたらいいなぁ…と想いを込めて書き始めました。

必要な人に届きますように。。。


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