私の傑作【資さん音頭】
前にも書いたが、十数年前、バンドの曲を書くのに飽き、別の(僕なりに)面白い曲作りを模索していた。 思いついたのは、大滝詠一さんにならって、(頼まれてもいないのに)CMソングを作ることだった。これが非常に面白く、何といっても15秒の曲。その日のうちに、アイデア模索からレコーディング、MIXまで終えることだった。
有名なメーカー、サービスのCM曲は面白かったものの、次第に非現実すぎて、すぐに飽きてしまった。ここはひとつ、地場の、なじみのある店やサービスの曲の方が、リアリティがあって面白いんじゃないかと思い、私が住む地元の代表格のお店、そう「資さんうどん」、北九州のソウルフードの曲を作ろうと思った。
やはり、地元の愛着あるお店だけあって、曲も歌詞もすらすら沸いてきて、われながら、実に素晴らしい曲が出来た。
私は「勝手にCMソング」は、あくまで「勝手に」なので、企業に売り込むつもりは毛頭なかったが、この曲(「資さん音頭」という)に関しては、本社の方々に聴いて欲しい欲求にかられた。で、資さんうどんのホームページを探して(ホームページなどないだろうと思っていたら、立派なのがあったw)、質問フォームから、「貴店のテーマソングが出来たので、是非聴いて欲しい、売込みではない」旨、送ったが、案の定回答はなかった。
どうしても聴いて欲しかったのでSNSで(株)資さんと繋がりがある人を募ったところ、厨房機器を同社に卸している人がいた。その方に、資さん音頭たる曲をCDRで渡し、さらに資さんの総務に渡してもらった。
音源を渡してから、しばらく経っても何の音沙汰もなかったが、ある日、突然、登録のない固定電話から、私の携帯電話にかかってきた。
なんだろうと思い、電話をとると、ドスの効いた声で「(株)資さんの総務部長の中西と言いますが、一度、弊社へ来ていただけませんか」と言われた。ああ、あの資さん音頭のことか、忘れていた、この声ではきっと怒られるのだろうと、驚きと同時にそのようなことを思った。
約束の日に、(株)資さんの総務を訪れると(すごく立派な社屋であった)、「おお来た来た、あなたが資さん音頭を作った中村さんですね?」と電話をかけてきた、いかつい総務部長(あとから事務長と知る)に迎えられ、応接室のソファーで10分待たされると、今度は「お前か、資さん音頭を作ったのは!気に入った、この曲を仕上げろ、うちの社歌にしてやる」と言いながら現れたのが、資さん創業者であり、オーナー社長の大西社長(当時)であった。先述のとおり、売り込むつもりはなかったので、音頭の1番までしか作っていなかったが、社長直々にオファーされたので、すごく嬉しく(あこがれの資さんうどんだ!)、家に帰ってからバタバタと完パケ(イントロから3番、アウトロまで)を作り終え、3日後に(株)資さんに完パケ曲を持参し、伺った。今度は、大西社長(のちに会長)、中西事務長、そして総務の方6名ほどが待ち構えていて、用意されていたCDラジカセに完パケ収録のCDRを入れ、(株)資さんのみなさまにお披露目した。
なんと、社長含め、皆さまの大喝采!! 感無量だった。
幼いころから世話になってきた「資さんうどん」の創業者に、お前、気に入ったと認められたのだ。
それから、全店舗(20店舗)の入り口のメニューケースあたりで延々と私の資さん音頭が毎日24時間なっていた。
私はこれはチャンスと思い、地元の各メディアが必ずチェックしている「西日本新聞社」に電話をいれ、資さんの一ファンが勝手に作った曲が店舗ソングとして採用された!と吹き込んだ。それから、当然のごとく、私に取材要望が入り、西日本新聞の地元蘭にデカデカと私と資さん音頭について報道されたのである。私の狙いとおり、その記事をみた、地元テレビ番組、各FM曲が、ここぞとばかり取り上げた。私への取材もたえなかった。
ホリエモンが購入したクロスFMでは、私と大西社長2人がゲストで呼ばれ、大いに盛り上がった。上記にも書いたように、感無量であった。
資さん社は、資さん音頭を10万で買い取った。(私は最後まで売込みではないので、お金は受け取らないと言い張ったのだが、、)それどころか、記念として、当時、資さん社が運営していた料亭に私と家族が呼ばれ、資さん社は社長含め総務一同8名、全員黒ずくめのスーツでVIP待遇をしてくれた。2次会では社長いきつけのスナックでカラオケ大会、最後は資さん音頭で大盛り上がりした。新商品(持ち帰りの)が出るたびに、私へ送ってくれ、10万円分の食品券まで送ってくれた。
感謝ほかない。
ある日、メールにて中西会長から近々お会いしましょうと、連絡があった。
メールをいただいた次の日に中西会長は突然死した。
大西会長は2016年頃だったが、病と老衰で亡くなり、あととりがいなかったため、会社を売却し、経営自体、他の会社が(株)資さんを運営するようになった。
大西会長が一番力を入れていた、おつまみメニューはなくなり、24時間で採算が取れない店は、朝~夜までの営業となり、北九州のソウルフードから、一般的な利潤を追う、会社になった。そのころ、資さん音頭も流れなくなった。
大西会長は口は悪かったが(北九州人は皆そうであったが特に)、器は非常に大きく、北九州のあらゆる施設や文化財に億単位で寄付をした。理由は「これまで地元、北九州で30年以上儲けさせてもらったのだから、ちゃんと恩返しがしたい」だ。並大抵の方にはできないことだ、と私は思っている。葬儀にも参加した。まったくの他人で、あんなに泣いたのは初めてではないだろうか。
正直、サービスや味(パンチ)は若干落ちたものの、やはりソウルフード、今でも、週1で資さんうどんに通っている。その入り口には、もう資さん音頭の出迎えはない。
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