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介護職を苦しめるクソどうでもいい記録物等

わたしは現在、特養で働いていて、それも今月半ばまでの辛抱である。そこで、もうすぐ退職間際というのに、しょうもない書類仕事の数々に悩まされている。

たとえば、月に介護主任に提出する書類の一つに、“温度板”と“個別機能訓練”の表がある。そこで、本来入力されるべき項目が、正しく入力されているか、チェックしなければいけないのだが、中には漏れがある。
 たとえば、入浴日なのにバイタルサインが入力されていない、とかはよくある。そういうとき、その当時の体温とか血圧とか脈拍とか記録に残されていないわけだから、あとから調べようがない、しかし書面上は記録に残す必要がある…。
 するとどうするかというと、バイタルサインの数値をあとからでっち上げて、そのデタラメな数値を入力して、そのときに測ったことにしてしまうのである。こっちとしちゃ、そんな下らない、いいかげんなことをしたくないのだが、書類の体裁をととのえるという形式主義のために、そうせざるを得ないのである。

他にも、委員会活動では、定期的にカンファレンスを開いて記録に残すことになっている。しかし、カンファレンスを開いていないのだから、記録にも残しようがない。それでも、記録上はやったことにしなければならないので、あとから適当に文章をでっち上げて、カンファレンスをやったことにしてしまうのである。

また、職員の勤怠管理にタイムカードがある。これも、実際には30分以上から早く出勤していて、記録を前もって打ち込んでおかないと、仕事が終わらない。
 しかし、「始業開始の15分以上前に打刻してはいけない」という建て前のために、早くから仕事をしている事実をかくして、15分前以降に打刻をしているのである。まったく下らない、形式主義にすぎないのだが、たぶん多くの企業でも同様のことはあるだろう。

さらに、入居者の食事と水分の摂取状況がある。これも、前もってPC・タブレット上から入力しているので、全量摂取していることがデフォルトである。本来であれば、毎食のたびに摂取量を入力すべきなのだが、そんな時間も余裕もない。だから、よほどのことがなければ後から修正することはしないし、したがって記録上は“全量摂取”したことになってしまう。 

これまでにも、わたしは病院や介護施設で働いてきたが、ここまで下らない、形式主義にまみれた施設というのは、初めての体験かもしれない。まったく呆れるはなしで、もううんざりしている。
 いまの特別養護老人ホームは、ある社会福祉法人が経営する戦前からの古い組織らしいので、組織の体質も古いうえに、半官半民のお役所体質のためか、なおさら形式主義、書類の体裁、建て前といったものにこだわっているように見える。
 たぶん多くの職員が同じように疑問を感じているはずなのだが、下らない組織に身をおいてると、そうした下らない習慣が当たり前になってしまうのだろう。
 何ヶ月か前に、わたしは「ブルシット・ジョブの謎 クソどうでもいい仕事はなぜ増えるのか」というタイトルの本を読んだことがあった。上記に述べてきたような介護施設の書類仕事、形式主義は、典型的な“ブルシット・ジョブ”で、本当に介護職員のやる気を失わせ、本来なら人のケアに割くべきエネルギーを無駄に消耗させていると実感しています。