陸自OBとして、五ノ井さん及び陸自セクハラ事件判決について思うこと。
先日、陸上自衛隊の福島のほうの駐屯地で起きていたセクハラ事件について、裁判の判決が下された。執行猶予付きの有罪判決。今後、被告の3人が控訴するかどうかは不明だが、情勢はこの3人にかなり不利になってると思う。
はじめに言っておくと、わたしがここで書くことには女性陣やフェミニストどもからひんしゅくを買うかも知れない部分があるだろうし、その点は承知してもらいたい。わたしも一応、元陸上自衛官であり、2等陸士で入隊し、陸士長のときに幹部候補生陸曹長となり、3等陸尉のときに依願退職した。陸上自衛隊という組織に対して思い入れとともに、愛憎半ばする感情をもっているともいえる。
正直言って、わたしは五ノ井里奈さんよりもこの被告たちのほうに同情しています。この事件はほんとにくだらない、下品な性質のもので、本来であれば書類送検レベルで済むような話のはず。
それがここまで大事になってしまったのは、去年秋頃の記者会見において彼女は突然メディアに登場するようになり、陸上自衛隊のトップクラスの幹部に謝罪までさせたというところが大きいだろう。
そこでこれらの被告の3人は謝罪し、すでに自衛隊を免職になっており、その後の民事訴訟では多額の賠償金を支払う羽目になり、そして刑事裁判では今回の判決である。すでに、十分すぎるほどの代償を支払わされているように思えるから。そして、世の中にはもっと悪いことをしておいて逃げおおせてる人間だって多いはずである。
世間の様子をみるにつけ、明らかに五ノ井さんの味方というふうだし、彼女を批判すると逆に袋たたきにあいそうな空気さえ漂っている。しかし、わたしでさえ違和感を感じるこの事件に、ほかの多くの男性自衛官たちも同様の思いを抱えている可能性は高いのではないか。
まず思っていたのは、「宴会などでの一発芸的なものがエスカレートしただけでは?」というもの。たしかにはじめはそうだったのかも知れないが、常日頃から常習的にセクハラに及んだという話もあるので、悪質性は高いといえるのかもしれない。
それならば、部隊長に相談して現場レベルで解決すべき事案ではなかったのか? こんなふうにメディアに登場して大ごとにまで発展させ、さらに自分のかつての同僚を裁判で告訴するような真似をするよりかは、現場レベルでの解決を指向するべきではなかったのか? この点が、多くの男性たちが不審に思い疑問に感じているところであると思う。
しかし、彼女はたしか部隊長(中隊長クラスか?)に相談したものの適切な対応をしてもらえなかった、ということを述べていた。指揮官として部下の相談を相手にしないとは、いったい何やっていたんだ? というのがまずある。
とはいえ、自衛隊の幹部は一般に忙しいので、部下の相談にいちいち対応している余力はないと思われる。とくに、セクハラやパワハラといった問題はとてもデリケートなものであり、直接の上司以外にも、組織の内外の両面から相談できる窓口を設置すべきだと思う。
ここまでの話は指揮官、部隊長レベルで対応すべきものだが、それではそれよりも下位の階級に責任はなかったのか。
幹部より下、陸曹レベルの階級では「部隊内の秩序を維持すること」が役割のはずである。ここまでセクハラが常態化しており規律が乱れてるにも関わらず、陸曹はいったいなにやってたんだ? とわたしは思います。
ここまで大事になる前に、それはちょっとやりすぎなんじゃないの? と歯止めをかける役割を誰一人として担おうとしてこなかったことは失望すべきことで、反省すべきだと思う。
この一連の事件でふと想い出す映画に、リドリー・スコット監督の「G.I.ジェーン」(1997)という作品がある。
アメリカ海軍情報部に勤務するオニール大尉(デミ・ムーア)は、女性というだけで軍内で阻害され、昇進の機会も限られていることに苛立ちを感じていた。そこへ、男性志願者でさえ大半が脱落していく海軍特殊部隊(SEAL)の訓練プログラムに、女性として初めて参加するチャンスが与えられる。はじめは男性たちから疑念の眼差しを向けられていたが、彼女の粘り強い真摯な態度はやがて仲間たちの信頼を勝ち取っていくことになる…そんな筋書きだった。
翻って、五ノ井里奈さんのこの一連の経過をみてきて、たしかに彼女は強い女性であることは間違いない。部隊では誰からも相手にしてもらえず、メディアに登場してあらいざらいをぶちまけ、陸上自衛隊という組織に一石を投じたわけだから。
しかし、このことで世の男性たちから信頼を勝ち取ることができたのだろうか?? むしろ、男女間の亀裂を一層深め、組織の団結や結束を阻害する結果になってしまったと思う。この点において、さきに紹介した映画「G.I.ジェーン」の主人公が男性兵士たちの信頼を勝ち取ったこととと比べて、まったく正反対なのだ。
この事件を契機に、陸上自衛隊という閉鎖的、保守的な組織が変わっていければいいとは思うし、一方で、裁判のような敵対的な紛争解決手段に頼るよりかは、もっと現場レベルで穏やかな話し合いの機会をもてればそれがいちばん良かったのではないか。そう考えています。