ナースコールはいらない、ナースコール廃止論。

夜勤中、もっともイライラさせられ、腹立たしい思いをさせられるのが、ナースコールである。正確には、センサーマットと連動したセンサーコールでもある。
 とくに、起床介助のもっとも忙しい時間帯に、コールを連打されるというのは、もっとも神経にこたえるストレスフルなものである。介護や看護の経験がある方なら実感としてわかると思う。

そこでたびたび感じるのは、「いったい誰だ?ナースコールなんて余計なものを発明してくれたやつは?」ということ。いっそ、ナースコールなんて廃止すべきとさえ思っている。
 今でもそうだが、今後ますます介護現場では人手不足が深刻化するなかで、いちいちナースコールに対応する余裕はもはやないからである。ナースコールを押すことで「呼べば来てくれる」と思うのは、もはや“高齢者の甘え”であるとさえわたしは思っている。
 誰かが夜中にナースコールを押すということは、他に別の人がケアを受けられるかも知れない時間をその人が奪っている、ということでもある。介護の現場では、限られた人間だけで勤務シフトを回しているからである。もしナースコールを設置するというのなら、その人からは特別に追加料金を請求すべきと思う。
 もっとも、介護施設において看護師が夜勤をする施設は少数であり、大半は介護職だけで夜勤を回している現状があると思う。ナースコールと呼ばずに、“介護コール”とか“ケアコール”とでも呼ぶべきではないのか? と思ったりする。

それでは、ナースコールなしでどうやって利用者の安全を確保するのか? という不安はあるだろう。その代わりに、より巡視を強化していくよりほかないだろう。あるいは今の時代に、フロアごとに見守りロボットを導入して、各居室を巡回させる、というのもいいと思う。
 そのむかし、近代看護学の祖であるフローレンス・ナイチンゲールの時代には、もちろんナースコールなんてものはなかったはずだ。ナイチンゲールがクリミア戦争において、トルコのスクタリの野戦病院で前線から後送されてくる傷病兵たちの看護にあたっていたときには、夜中はロウソクの火を灯してそれで病室を巡回していたのではなかっただろうか? たぶんそういうところにこそ、ケアの原点があるのかもしれない。
 ひるがえって現代のケアの現場では、なんでもかんでもナースコールに頼りすぎているのではないか。そしてそれが、結果として観察や巡視が軽視されることにつながっているのではないか。

“今日の医療化時代、要介護の高齢者をケアするためには、医療技術者と世話人の仕事を超人的にこなさなければならない。……
現代の介護者が引き受けている負担は、一世紀前と比べると実際には多くなっている。”
 「死すべき定め 死にゆく人に何ができるか」アトゥール・ガワンデ