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小黒一正さんと牧原出さん

法政大学教授(財政学)の小黒一正先生は元財務省に在籍され、財政規律を重んじる論客です。でも、その小黒先生がコロナ危機に際して、赤字国債を発行した財政出動の必要性を語っておられました。

さらに今売りの週刊ダイヤモンドに寄せたコラムで、興味深い論文に触れておられます。私が下手な要約をするよりも、ぜひ雑誌、買って読んでもらって皆さんのご意見も伺いたいところです。

大事なことなので、肝のところだけは、ノートに書き残しておきたい。

人類は歴史のどの局面から教訓を得るべきか。1918年のインフルエンザのパンデミック(世界的大流行)、つまりスペイン風邪から学ぶのが適切だ。
この観点で、米連邦準備制度理事会(FRB)ノエコノミスト、セルジオ・コレイア氏らが3月26日に公開した論文「不況を招くのはパンデミックであり、公衆衛生の介入によってではない--1918年のインフルエンザからのエビデンス(タイトル訳はダイヤモンド編集部による)」は興味深い。

スペイン風邪が大流行した当時も、米国の主要都市では学校の閉鎖、事業所の営業時間短縮、感染者の隔離といった策が講じられた。論文ではこれらの策が都市ごとにどの程度の期間実施されたかを把握し、それに死亡率と雇用者数を掛け合わせて比較した。その結果、より厳しい(長期の)対策を講じた都市の方が、その後の雇用の伸びが高いと結論づけている。

新型コロナのさなか、「人命か経済か」という二者択一的な議論が国内外にある。だが前述の論文がスペイン風邪から得た結論は、「厳密な感染防止策は、人命を救うだけでなく、経済復興に対しても有益である」というものだ。(「今回はスペイン風邪型危機/経済制約と一律給付が正解『週刊ダイヤモンド』4月25日号)

この後、経済学者としての小黒先生の提言に続きます。

そしてもう一つの経済誌、週刊東洋経済で、行政学・日本政治史の牧原出先生も「人命か経済か」というバランスにおいて政治の言葉が担うはずの役割について橋本龍太郎など過去の宰相を引き合いに出しながら論じています。

テーマは、緊急事態宣言を打ち出した4月7日の安倍首相の会見についてです。

首相自身、会見の中で「先週から、われわれは(宣言を)いつ出すべきか、西村大臣と尾身先生と毎日、緊密に協議し議論をしました」と述べている。その点では、7日の会見で首相は、尾身会長という感染症の専門家とともに、経済再生担当相ないしは経済財政諮問会議の民間医院など経済政策の専門家と登壇すべきであっただろう。両者の間を取りもちつつ決断を下したという意思決定の構図を明確に国民に示せたからである。
安倍氏の談話は、感染症についても経済政策についても、官僚ベースの具体的な話ばかりであった。それでも記者の質問に対して尾身会長にも応答を促したのであれば、経済政策に関する細かな応答をなぜ専門家に求めなかったのか。
(略)あるいは、首相とその周辺には、アベノミクスを推進する首相が経済政策を熟知していることを見せようとする意図があったのかもしれない。だが、経済政策の説明は、官僚のペーパーの読み上げになりがちである。だからこそ、そこを超えて政治への理念や思いを首相がどう語るかが、国民が聞きたいと思うところであろう。官僚が側近が準備するペーパーに、政治家として語るべき内容のないことが問題なのである。

かつて省庁再編の覚悟を問われた橋本龍太郎は「火だるまになっても」と言い、郵政解散の決意を語る時の小泉純一郎は「殺されてもいい」と述べました。牧原先生は、安倍首相の言葉はそうではない、と分析します。

官僚の作る政策答弁に終始する安倍氏には、その官僚たちの習性のように、安全圏に逃げ込もうとする気配が見え隠れするのだ。

政治決断するためには、そういう答弁を練る官僚から離れて孤独になれ、と説いています。

政官の適切なあり方を政治史の事実から読み解いていく牧原先生の『内閣政治と『大蔵省支配』-政治主導の条件」(中公叢書、2003年刊)は、サントリー学芸賞受賞作。政治主導、官邸主導はここに来て異次元の長期政権の元で歪みばかりが目立っていますけれど、どうして政治主導が求められたかという原点を振り返る上で、私はいまも時々読み返す本です。


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