コロナ脳家庭の一日を想像してみた

最初に

SNS上に見られるコロナ脳と思われる人たちや自分の関わった人たちが発信・発言していた意見や考え方に基づき、完璧な感染対策を講じた場合のモデルケースを考えてみました。
『相手は目には見えないウイルスなんです!やりすぎてやりすぎることはない!とにかくリスクを減らすことが大事なのです!』
※正直くだらないので暇つぶし程度のお話だと思ってください。

起床

マスク姿でおはようのあいさつをする。家族は大切な人だからマスクは忘れない。イソジンでうがい、手を入念に洗い、念の為洗面所に置いてあるアルコールで手指消毒。子供が洗面所に来たので反射的にマスクを装着。マスクをしてなかったので一喝しておいた。

朝食

ダイニングに着座後、テーブルの上に置いてあるアルコールで念の為手指消毒。そして朝のワイドショーを見ながら黙食、ワクチンを打ってたはずの芸能人がコロナ感染したらしい。あらためて免疫回避能力の高いウイルスに恐怖する。食後はすぐにマスク。片耳にぶら下げてあるので装着は一瞬だ。家族とのまともな会話は起きてから初めてだけど、自分の言葉を何度も聞き返されてイライラする。どうやらテレビの音が邪魔で聞き取りづらいらしい。音量を下げたけどまた聞き返される。何故だ?イライラがつのる。そろそろ家を出る支度をしなければいけない。念の為椅子から立つ前にも手指消毒する。

出勤

なんとなく配偶者の目が虚ろだし、子供も心なしか元気がないような気がするも表情が分からないので気にするほどではないと判断。予備のマスクを持ったかチェックし、消臭スプレーをマスク内側にひと吹きした後、家を出た。当然ながら屋外でもマスク。換気100%の屋外であってもマスクは感染症対策を頑張ってる目印だからという承認欲求を満たす。電車の中で小説家や救急医たちのツイートをチェックしノーマスクの人間をこけ下すリプをいくつかする。通勤客の中に素顔の人間がいたので睨みつけておいた。『無症状でも感染させることがあるのだから、マスクくらい着けろよ、このテロリストが!』と心の中で思う。

仕事中

会社の方針ではマスクは任意だけど意識の高い自分は基本常時マスク。ゼロコロナのためにはこれが一番正しいと信じてる。そういえばマスクをするようになってから風邪をひかなくなったと回想。あらためてマスクの効果を実感する。そんな中、数名いる素顔の同僚達にイライラを止められない。お前たちの飛沫を浴びたくないんだよ、と心の中で叫ぶ。自分より立場が低い人にはマスク着用を促す。

昼休み

同僚たちは外に食べに行ってしまったけど、人混みに行くことはリスクでしかないので独りデスクで弁当を食べることにする。以前買ってた移動販売は最近売り子がノーマスクになったので買うのをやめた。それよりは衛生管理のしっかりした工場で作られたコンビニ弁当の方が100倍マシだ。当然ながら黙食を心がける。ノーマスクの上司に話しかけられたが、こちらは急いでマスクを装着して応対した。話しかけるならマスクしろよ、と心の中で毒づく。食後はうがいしてすぐにマスクを装着。半日経って少々臭う気がするがコスパを考えて今日はこのまま同じマスクをし続けることにした。大事なのは飛沫を飛ばさないことだ。

終業

久しぶりに飲みに誘われるが当然断る。最近あまり誘われなくなってきたが、むしろこのご時世に飲みにいくような連中のことを心の底から軽蔑しているのでよしとしている。その中の何人かはコロナに罹ったらしいが当然だと思ってる。

帰路

おちゃらけた若者たちがマスクもせずに電車に乗ってきたので睨みつけておく。SNSでそんな連中のことを非難するつぶやきをする。一応動画も撮っておく。奴らがコロナを広げる元凶だとあらためて思う。反マスクの連中がクソリプ飛ばしてきたので片っ端からブロックした。

帰宅

玄関前で衣服を叩いて付着しているであろうウイルスを落とす。上着を脱いで帰宅。玄関に置いてあるアルコールで手指消毒後、洗面所に直行してイソジンでうがい、そのついでに入浴をする。風呂から出て念の為さらに手指消毒。その後マスクしたままテレビを見て過ごす。ニュース番組に感染症専門家が出ていたのでその意見を食い入るように観た。自分の考えは間違いじゃないことを再確認。しかし最近彼らを見る機会も減った気がする。メディアも感染症対策に対して気が緩みすぎだと感じている。

夕食

朝食時と同様

子供との時間

大切な家族のためマスクしたまま遊ぶ。子が苦しがってマスクを取ろうとするので「親が死んでもいいのか?」と叱りつける。苦しいと言って泣きはらすもマスクは強制的に着けさせる。

晩酌

当然ながら黙呑。そこに会話はない。どうしても話したい時にはマスクを着けるよう相手に要求する。ちょうどニュースバラエティが放送されてるが、また感染者が増えているとのこと。このままでは医療崩壊してしまうことは明白だ。一層の感染対策をすることを肝に銘じる。マスクを任意としてしまった国には憤りしか感じない。

就寝

今夜は子供と寝ることになったが感染させないためにマスク装着して就寝、気づくと子供はマスクを取ってしまっているので直してあげることを忘れない。

最後に

はい、もちろん事実ではなくただのフィクションです。コロナを過度に怖がっている人たちの意見を参考に面白半分に想像してみただけです。彼らが考える理想的な社会を自分が理解することは一生ないでしょう。「基本的感染対策」の三種の神器である「マスク・消毒(液)・うがい(薬)」そして「大切なひとを守る」という大前提を考慮して、あくまで想像上のモデルケースとして構成してみました。もちろんここまで極端な人はいないと信じたいところです。

おしまい。

(追記)ちょいちょい文章を手直ししてます。素顔→ノーマスクとか。ついつい素顔って書いてしまいましたが彼らは素顔というワードを使わずノーマスクと言いますからね。

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