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10年前の私が生きるためにしたこと【自傷行為】


はじめまして。私は関東某所に住む25歳の無職です。

今日はタイトルにある通り、10年前の私が生きるためにしたこと、そして10年後にあたる現在の私がそれに対してとるべき責任ついてお話したいと思います。

単刀直入に言うと世間一般的に言う「リストカット」を中学2年生の私は頻繁にしていました。どうしてそんなことをしたのかというと自分が置かれた場所(家庭や学校など)がとても嫌でした。家庭はとてもまともとは言えない環境にあり、きちんとした食事をとる事すら難しく、学校ではそんな事情を誰にも悟られたくなくてひた隠しにし、感情を隠していました。

「誰にも相談できない」「短期的に解決できる方法がない」「経済的・社会的に自分ではどうにもならない」

14歳の私には重過ぎる毎日でした。

死にたくて、死にたくて毎日どうやって死のうかと方法ばかり考えていました。そんな時、同じような仲間をインターネットで探していてふと見つけたサイトがリストカットの傷跡を載せあう掲示板でした。

そこには私と同じように苦しみ、悲しみ、死にたい人がいる。

最初はなぜこんな行為をみんなしているのか分かりませんでしたが、自傷行為の画像を閲覧していくにつれ私の中にある感情が芽生えたのです。

「自分を傷づければ楽になるかもしれない」

今となっては間違っている考えだと即答できますが、当時の私は子供でしかも正常な判断力を失っていたと思います。

そして日常的に自傷行為をするようになるまで時間はそうかかりませんでした。高校生にあがることには大きな傷がいくつも左腕にある状態で、体育の時にはサポーターが欠かせませんでした。しかし、心が開ける友人などの協力によって自傷行為をやめることができたのです。

10年後の私がしたこと

高校を卒業し、私の腕には白くなった傷跡がいくつもあり、職場では長袖が欠かせません。夏場の外出の時にも左腕は見えないようにカーディガンを羽織り、半そでの時は電車のつり革が掴めませんでした。

精神的、経済的には落ち着き今ではまったく自傷行為をしたいと思うことはなくなりました。しかし、傷があるままでは世間や私自身過去の辛さを忘れることはできないと考えたのです。

左腕の傷を消すため、仕事の休みを使って治療できる病院を探しました。いくつも病院を渡り、病院に他の先生を紹介してもらったりなどし、やっと予算内で納得のいく治療方法をしてくれる病院を見つけたのです。

術後二週間ほどは仕事ができないと先生から言われていたので、手術に合わせて仕事を辞め、もちろん職場には自傷行為跡があることを秘密にしていたので嘘をつきました。職場の方はみんな優しくとても好きな仕事でしたが二週間も休みをとれるような職種ではなく、なにより、そんな大好きな人たちに自傷行為跡があると知られたくありませんでした。

10年後の私がしたこと、それは過去の自分がつけた自分の傷跡を別の形に変えることです。私は左腕に火傷の跡に見えるように上書きで傷を作りました。お金や労力、そして痛み、簡単ではなかったです。それでも私は10年前の私の責任が取りたかった。その行為を後悔していない、と言ったら嘘になりますが10年後の今、私は笑って生きている。あの頃14歳の私が残した傷のおかげで生きている。あの辛い出来事があったから自分を奮い立たせ、強く生きることを決めた。

自傷行為を推奨しているわけではありません。しかしあの時自殺するよりは今のほうが幸せだと心から思うのです。そしてその責任は自分でとれる、未来の自分を信じれば人生うまくいく、そんな気がするのです。

もしも需要があるのならば治療法や術後の経過を画像を含めて紹介したいと思います。自分で調べてみて思いましたが、そういう治療って全然紹介されていないのです。

私の経験が誰かの心の支えの一部になればいい、というのはおこがましいですがこんな人間でも生きているのだから自分は大丈夫と思ってくれればいいなと思います。



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