謝らないでほしい

「申し訳ございませんでした。」

男女二人が突然やってきて、男の方にずっと頭を下げられている。
髪についているのは恐らくジェルか。
整った髪にきれいに剃られたヒゲ、一方ぼさぼさの頭に無精髭の自分、はたから見れば百貨店かレストランの責任者vsクレーマーとそれを眺める女が一人。

こう表現すると、どこぞのチンピラが連れの女性とのデートで、なにかの不手際にネチネチと絡んでいるかのようでもあるが、当然違う。

ただやり場のない感情を持て余して固まっていたのだ。

随分長い間音信不通になっていた姉が、交通事故で亡くなった。
最後に会話を交わしたのはまだ20世紀だったはずだ。

たしかテレビでは「ふなきー、ふなきー」とスキージャンプの原田さんが
祈るように声を振り絞っていた記憶がある。

控えめにいって姉弟仲がそれほどよかったわけではない。
両親の葬儀が済んだら、もう私がここにいる理由はないといわんばかりに姉は実家を出た。その後はほぼ音信不通で、一応自分が残り続けた実家に届く年賀状で生存を認識するくらいの関係を四半世紀続けたわけだから、薄情といえば薄情かもしれない。

その姉が、今ここで頭を下げている男性の車に轢かれて死亡したらしい。姉の唯一の肉親となっていた自分のもとに、警察から連絡があったのは1週間前の深夜だった。

聞けば堀川五条交差点を斜め横断中に轢かれたとのこと。

…意味がわからなかった。いくら深夜で交通量が少ないとはいえ、何をどうすればあの交差点を斜めに横断する気になれるんだろうか。

あまりの現実感のなさに体が沈んでいくようであったが、その一方で死亡届の提出や火葬許可証の取得、お寺さんの手配、人が死んだことによって起こる諸々に圧倒されて、ようやく一山越えたところでこれである。

正直なところ不快だった。
「わたしの申し訳ないと思う気持ちを受け取れ」
そんなのを投げつけられて、こちらに選択の余地がないかのようだった。

ふいに、横で眺めていた女性が口を開いた。

「差し出がましいようですみません、突然に大きなインパクトが起こりすぎて、事態の整理にまだ時間がかかってらっしゃるように見えるのですが…」

その声は自分にとって救いとなった。
一つは自分の正直な状況を言葉にしてもらえたこと。
もう一つは、それを聞いて謝罪の嵐が少し弱まったこと。

「まだうまく状況が腑に落ちていません。落ち着いたら…えーっと、こちらの名刺にご連絡でよろしいですか?今日のところはお引き取りください」

「弁護士」と書かれた名刺に目をやりながら、返事をした。

というかそれを見てやっとそういえば最初に弁護士と名乗っていたこと、
謝罪と慰謝料の相談もしたいと思っていると言っていたことを思い出した。

改めて男の顔を見て、真っ黒なクマ、真っ赤になった白目部分、そして黒目、そういえば昭和の時代によくみかけた鳥よけの風船はこんな感じだったかな、と碌でもないことを回想して、この状況になっても連想ゲームで夢想して遊ぶ自分の癖がおかしくなって思わず笑ってしまった。

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