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失業手当に申し込んだ話し・・・経営者はもらえるのか?(前編)

人生を情熱的に刺激的に荒々しく、ジェット中島です。

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■はじめに・・・

もう5月だけど、4月に入ってからはコロナウイルスで日本もとうとう街並みが変わってきたね。
今年の3月8日まではベトナムで過ごしていて、その時はこのコロナで刻一刻と周りの風景が厳しくなってくるのを見ていたから、日本はなんて緩いんだ!?なんて思っていた。

だが、4月に入ると非常事態宣言もなされ街並みも変わってくる・・・と思っていた。

ただし、現実はちょっと違っていたね。確かに街中には人が少なくなってきたけど、ベトナムに居たときと比べると緊迫感はあまり感じない。
少し街中の人が少ないくらい


週末は少なくなってきているけど、普通のに街を歩くと不要不急で出ている人が思いの他多く感じて、外出制限を政府主導の元でもっと掛けたほうが良いのでは?とさえ思えてくる。
民主主義の国家だと難しいのは分かるけど、無理やりにでもやらないと想定通りにはいかないよね。

■失業保険の話しがでたのは・・・

ところで、本題にそろそろ入っていこう。
3月19日に法人登記が終わって、さあいよいよ走り出そうというタイミングで状況が変わってしまった。


経済自体も活動が止まって、これから仕事もなくなる可能性が高くなってしまった。
そうなると、売上も落ちて生活自体も困窮する可能性がある。

会社設立を支援してもらった関係から、月次の経理業務もお願いしているMejiro Accounting Office 粂谷行政書士事務所の冨田さんと話しをしている時にこんなやりとりがあった。

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3月26日AM10:00頃、千代田区の法務局の廊下にて電話を掛ける。

ぷるるるーん、ぷるるるーん、ぷるるるーん♪

3コール程度したら、冨田さんの威勢が良く笑顔の溢れる声が聞こえてきた

冨田さん
「お疲れ様ですぅ。今日法人登記終える予定だったんですよね?うまく行きましたか?」

ジェット
「はい、冨田さんが必要書類をしっかり準備してくれたおかげで予定通り終わりました。本当にありがとうございました。本当の戦いはこれからなんで土台作りが出来て安心しています。でも、これからコロナの影響で予定していた通りに仕事が請け負えるかどうかは不安な部分ありますけど・・・」

冨田さん
「この影響でウチのお客さんでも売上で影響を受けている方はいました。始まったばかりでこんな事伝えるのも中島さんのプライドが許さないかもしれないですけど・・・」

ジェット
「はいっ?」

一度口に出そうとして冨田さんが、改めて言葉選びをしてくれるのを感じて、そして続けてくれた。

冨田さん
「今後多くの企業がもっと困窮して仕事がなくなってくるのは当然だと思います。もしプライドが許すのであれば、ハローワークとかにも言って失業給付を申し込んでみるのもありだと思うんですよ、今後を見据えての次善策という意味で。

もし貰えたらラッキーで、貰えなかったとしても当然くらいで。」

先を見越して、気を使ってくれていた冨田さんの発言には大きか感謝が湧いてきた。


こう返して会話を終えた。

ジェット
「私はこの立上げをした時点で、世間的な体裁とかは捨てましたし、自分をよく見せようというプライドは捨てたので、もらえたらラッキーくらいで聞いてきます」



■失業保険の内容


という事で失業保険の申請をするためにハローワークに行くことになったのだが、その前に給付の中身についておさらいしておきたい。

今回実際に足を運ぶ際にいくつか下調べをしたが、一番参考になったのはこちらのサイト。

お役立ち記事


このページを見に来てくれている人は俺とは違い聡明な人ばかりなので、説明は不要かもしれないが、簡単に失業保険について説明しておこう。

前職で一定期間働いて、雇用保険に入っていた休職中の人が、勤続期間に応じて国が定める一定の手当が支給される制度だ。

支給額や期間は、会社都合か自己都合かで異なっている。
こちらも簡単に図でまとめた物だ。
自分が該当すると思ったものをピンクで囲った。

■給付までの日数

給付までの日数


■給付日数
会社都合 (倒産、解雇等)による

給付日数

俺は現在39歳なのでラッキー、240日と思ったが、自己都合だから違っていた。 正しくはは下記があてはまる

自己都合による

自己都合給付日数

■給付額

最高額

支給まで3ヶ月以上掛かるとは言え、申し込んで受理されれば単純計算では最高91万近くがもらえる。

7570円x120日=90万8400円

これがあるのと無いのだと大きく違う、しかも返さなくても良いお金だったらもらっておいて損は無い!

知っていると知らないのじゃこれは大きく違うね。

これを確認して実際の行動に移すことにした。

ところで、noteってエクセルみたいなテーブル挿入出来ないのね?
いつもGoogle Docで下書きしているんだけど、コピペが上手く行かなくて慌ててスクリーンショットに切り替えちゃったじゃないか!?

スクリーンショット

↑実際の画面

■ハローワークへの立ち寄り


失業手当もらえればラッキー!と思いながらも、そういえば俺は失業給付の申し込みをしたことが無いことに今気がついた。

前職に就く前に一度いったことはあるがもう12年も前の話し・・・サムライ・シローとカミカゼ・ミサワくらいのすれ違いの年月だな

(※後で調べたら両者の再会は19年ぶりだった、俺より長い!!)


そうそう、前回はただの職探しだったので全然やり方が分からない。

グーグル先生おしえてくれ!

キーワードを打ち込んで調べた。

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まとめると、葛飾区と墨田区の住人はハローワーク墨田にいかんかい!
ということらしい。

愛よりブルースのマイライフを自称する俺は、入念な下調べよりも行動ありきで錦糸町に行ってきた。

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駅から5分の良いところで、思っていたよりも全然キレイでびっくりした。

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最近は法務局やら公証役場やらにいくこと多いけど、今までこういう公共の施設への関わり無いから予想よりも近代的でびっくりしたよ。

どうしてもこういう公共施設って自分が今まで関わって来た所が基準になるから、
俺の場合は埼玉県庁みたいなところを想像しちゃうんだよね。

脱線覚悟で語ると、2003年に埼玉県を通じてオハイオ州のフィンドレー大学への留学した。(米国には計3年9ヶ月程滞在した)

応募者の内1名が奨学金で留学出来るというプログラムだった。
履歴書とTOEFLの提出と面接を行い、上位1名には1年間奨学金と確か生活費?も支給されるというなんともありがたい制度だった。

正式名はオハイオ州スカラシップというらしい

これが貰えれば今まで払っていた税金もチャラになるくらいのインパクトだからね。

でも、俺は残念ながら奨学金は貰えなかった。
前年に英国留学しているということもあって、英語は特に問題無いと思っていたので実は結構なショックを受けていた汗。

ただし朗報もあって、埼玉県が定める基準には合格しているということで、
俺は迷わず、「行かせてくださーい!」とドMみたいな台詞を吐いて、しがみつくような気持ちで返答した。

当時は23歳で大学卒業後の再入学という事で、気持ちも高ぶったな。

そして、米国で学校が始める9月に備えて、7月の終わりに合格した4名が浦和にある埼玉県庁に呼び出された。

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(※写真は2019年の春に訪れた時の物)

目的はフィンドレー大学で教授を務める原田先生と面会をするため。
今後現地は色々な事で関わりを持つから、事前に顔を合わせて不安な事は取り除こうという県庁の粋な図らいだった。

その時に、かなこさん、愛子、裕子と俺の4人で会ったんだよな。

今となっては懐かしい!!


当時はこんな外見だった。

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↑の写真に意味はないんだけど、とある企画で昔の写真をアップするというところで漏れたのを行き場が無くなったから、アップしただけ。

当時の埼玉県庁は俺らの中学の頃と変わらないくらいボロボロの庁舎で、冷房も無く、真夏の暑い時期なのに汗がダラダラ垂れてきて、その中を熱いお茶でもてなされるという有様だった。

ありがたいセッティングだったんだけど、当時の俺はとにかく「暑いっ!!」としか印象に残っていなかった。

そうそう、その埼玉県庁での体験から、これが俺の官公庁施設のデフォルトになってしまった。

だから、ハローワーク墨田が立派に見えた!

ってか、これを語るだけで文字数割きすぎた!

↑↑自分でも分かっているんだけど、いつも会話でも脱線しすぎてしまう。

以後気を付けよう!

いや気をつけても直らないから気をつけるのもやめよう汗

内容が無い割に文字数だけ増えてしまったから、次回は実際に申し込みをして結果が出るまでのプロセスを書いて行こう!

See you next time, Brother!

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