「さざなみのよる」を読んで


木皿泉さんの、「さざなみのよる」を読んだ。
母が好きな作家さん。読み終わってから気づいたが、小さい頃テレビで見た「セクシーボイスアンドロボ」「野ブタ。をプロデュース」の脚本家でもあるようだ。

手にとったきっかけは、ホンカツ。
前回読んだ「死にがいを求めていきているの」を紹介した時に、真逆の世界観だよ。日常を大事にする物語だよ。と薦められた。

簡単なあらすじは、勇敢な性格である、小国ナスミの死をきっかけに、周りの様々な人たちに変化が起こる。
ナスミが放った言葉や行動がその人たちの心に、深く残り続け、意味付けをしていく。
その過程で気づく、変わっていってしまうものや、変わらずあるものの尊さ。亡くなってもなお誰かの心に生き続けるナスミが、人々を新たに人生に向き合わせてくれる、そんな物語だ。

心に残った言葉たち

おんばざだるまきりくそわか

意味は、「生きとし生けるものが幸せでありますように」。

そんな聖者みたいなこと思えてないし、
小説でもそんな風に描かれていたけど、唱えることが大事。

無宗教の我らに、何か困ったとき願いたいときに唱えるおまじないみたいなのってあると、幾分か心が安らぐよね。

「ケセラセラ」「ハクナマタタ」「なんくるないさー」みたいな。

だから、根拠はないけど、なんとなくの拠り所としてこの言葉を唱えようって思った。

本当に大切なものを失ったときって、泣けない。
あれは、大切だったなあと後から思ったときに泣けるんじゃないか。

そうだよね。失った瞬間ってまだ失ったことに自覚してないし、大切さを思い出した時に涙が出るものなのかも。

お金に変えられないものを失ったなら、お金に変えられないもので返すしかない。

自分にとって、お金に変えられないものってなんだろう。

愛とか、繋がりとか、思い出とか?
けど、スピッツも歌うように、今じゃ愛すらコンビニで買えてしまう時代。

誰かからお金じゃ変えられないものを受け取ったと感じたら、簡単に返せるものでは返したくないね。

逆に、お金じゃないものを与えられる人になりたいね。

あと、お金に変えられないものって、時が経たないと価値に気づけないのかも。
だから、人は意味付けをするし、あの時のあの言葉は、なんの意味だったんだろうって考える。

簡単に答えや価値が見出せないものって、自分が生きる意味を作ってくれるものなのかも。

そんなことを考えた、本でした。

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