なぜ自分はこの世に生を受けたのか

ふとした時に思う
なぜこの世に生を受けたのか

こんな問いに答えられる人は
なかなかいないと思う

自分で揺るぎない信念を持っていないければ
即答なんてできない

だからふとしたこんな夜更けに考えてみることにした

そもそも望んで生まれてきたのだろうか?

よく言われ、よく聞かされてきた

子供は親を選んで生まれてきているのだと

確かめる術はないが
一旦信じることにした


僕は何一つ不自由なく暮らしてきたタイプだと思う

両親は公務員で給料も安定
あまりお金の話は聞いてこなかったが
貯金もあるらしい

中学から大学までずっと私立に通わせて貰えたほどだ

唯一不自由というか、ネガティブな意見を言うと
平日はいつも親の帰りは遅く、1人で過ごすことが多かった

でも、小学校まではおばあちゃん子だったし
そのおかげで性格も穏やかに優しくなれた気がする

小4の頃に愛する祖母が亡くなり
初めて身近に死を感じた瞬間だった

寂しさが込み上げて
ふとした時に何度も思い出しては泣いた
今でも当時を鮮明に思い出すような感傷的な気持ちになったら泣いてしまいそうだ

1人で過ごすことが多かったと言ったのは祖母が亡くなってしまってからのこと

両親の仕事は続き、次第に僕は我慢が増えていった

昔から人の気持ちを汲み取っており
空気だったり場の雰囲気を読んでいたと思う
だから自分の感情任せに発言したりおねだりしたりすることはなく謙虚で真面目で遠慮しがちだった

それでも僕は幸せだった

1番戻りたい過去があるとしたらいつか?
と聞かれたら間違いなく小学校と言うだろう
低学年かな?

初恋もしてたり、毎日が充実していた気がする
鮮明に覚えているわけではなくふわっとした記憶だ

その頃かな?父に陸上の道に誘われ、スポーツが好きになっていったのは

サッカーや水泳もやったりしたが
結局、陸上競技に落ち着き
中学は陸上部に行くために受験をした

だから私立の中学に通っていた

地元の小学校の友達と離れるのは嫌だったか
と聞かれるとあんまり覚えていない

ただ、当時は中学で陸上をやっている自分が楽しそうでワクワクしているのを何となくイメージしていたと思う

祭りは乗り気ではなかったが、友達と何気なく法被を着て歩いたり、出店に行ったり、郷社にいったり、ファミレスで休憩したり、友達の家でゲームしたり、輪投げを楽しんだり、小学校は特に楽しかった

中学では部活が週6であり、なかなか地元の友達と遊ぶ機会が少なくなっていった

それでもイツメンとはよく遊んでいたし、祭りで久々の顔ぶれを見るのは楽しかった

高校になってからもう祭りなんて行かなくなってしまったが…

さて、そんなこんなで夜はいつも寂しかった僕は
真面目に勉強したり、ゲームにハマったりと
圧倒的インドア派だった

特に誘われない限りは外に遊びに行くことはなく、部活はバリバリの陸部だったが基本は家にいるのが好きだった

だからこそ、自分一人の時間が多く、自分の感情とはそこそこ向き合ってきたのだと思う

でも我慢は当たり前で、自分の感情なんて表に出すことはまず無かった

溜めて溜めて溜めまくってしまった自分の感情は
いつしか、本当の理想や希望を
自分にすら分からない奥深くまで
落とし込んでしまっていた

それを見つけるのに3年ほどかかった

自分は何がしたいのか
自由を得た先に何を求めるのか
陸上競技をずっと続けている理由は何か
何を仕事にしたいのか
どんな未来の自分を期待しているのか
信頼出来る仲間はどのくらいいるだろうか
自分のことを大切に思ってくれる存在はちゃんと認識しているだろうか

これらに関してはまだまだ答えをアップデートしていく必要があると思う

成長するとは多分そういうことだ

何のために自分が生を受けたのか
そこに目的はないのかもしれない
答えは無いかもしれない

でも目的を持ったり答えを見出そうとするのは
僕たちが人間だから
そしてその好奇心や探究心こそが
人間らしさだと僕は思う

まだまだ見つけていきたいし
もっと違う世界を見てみたい
素敵な世界に生きていることをもっと実感したい
そして生きていることに感謝したい

そのためにはまだ自由が足りない
まだ何も成し遂げられていない
自分をまずは幸せにして
心に余裕をもたせることから始めていこう

ふとした時に思った感情達でした

たまにこうやって書き留め続けていこうかな

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