3.僕の「考え」「思い」

僕にはこれまでおよそ20年間の人生で考え方を変化させていただいた3人の尊敬できる人物がいます。その3人は後日紹介します。

今回は僕の「考え」「思い」の変化やどう捉えているのかを話させていただきます。

小さい頃から野球をやりながら少年野球、中学野球、高校野球と主将を務めさせてもらいました。高校まではそんなに主将という立場を理解せずにただまとめればいいという考え方でした。

高校になると責任感が芽生えそれまで以上にキャプテン(僕自身正確にはゲームキャプテンだが)という立場が大切であることに気づきます。

私生活、学校生活、野球と全てにおいてしっかりとやらなければ!後輩の見本となるような人にならなければ!と考えるようになりました。

それを貫き、率先して何事も行うようにしました。それが合っているのかはわからないが最高のチームができたことはとても良かったと思っています。

その時、思っていたこととしては
・雑用なども率先して行い見本となる
・ゴミを拾えば必ずいいことがある
・日常生活が野球に繋がる
・すべてにおいて真面目に取り組んでいれば結果がでる など

そんなことを思っていました。
高校野球においてはそれでよかったかもしれません。

また、自分で言うのはおこがましいですが真面目に取り組んでいたと思います。言い方を変えると真面目に見られたいと思っていたかもしれません。

結論を言うと今になってそんな考えはどうでもよかったなと思っています。どうでもよいというと180°変わってしまいますがそこまではいかなくてもそこに近いぐらい考え方的には意味がないなと振り返っています。

とはいえ、もちろん挨拶や礼儀、義理や人情などはとても大事だと思っていますし大切にしています。

ではなぜそう思ったのか。

ごみを拾うことに関して言うと、良いことがあるからごみを拾うのか。それはごみを拾うという本質ではないように思えます。考えると見返りを求めているのではとなります。ごみを拾うことはもちろん良いことです。

しかし、皆さんは何においても興味・関心があるからそれをやりたい、行いたいと思うのではないでしょうか。また、興味がなくてもごみに関しては落ちていたら拾うという常識からくる考えではないでしょうか。そこの本質を間違ってはならないと思います。

この本質を考える、捉えるというのは尊敬する3人のうちの1人から教わったことです。

野球も同じです。現在は時代により非常に変化してきています。昔の考えが正解とは言えませんが、現代が全てではないし、現代が正解とも言えません。では何が必要なのか。

そこを追い求めていく、本質を捉えるというところが大事になってくると思います!

その本質を捉えるということが僕の考えです。

常識として本質を考えずにやってしまいがちになっていませんか?あたりまえだからといってそうなっていませんか?

それでは成長していかないと思います。

突き詰めてそれを積み重ねる。それが無意識のうちにできるようになるのであれば別ですがそうでなければ成長はありません。

一度きりの人生、日々成長するためにも本質を捉えることも一つです。僕の考えが全てではないのはもちろんです。皆さんの考えもお聞かせ願えればと思います。


今週も長々とお付き合いくださりありがとうございました🙇‍♂️



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