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『BanG Dream! It's MyGO!!!!!』を見て



はじめに

 私は普段アニメを見るときは友人やSNSで感想を共有したりすることをせず、自分の中で消化するだけでしたが、今回行われている感想文コンテストを見て面白そうだったこととこの物語をもっと自分の手で深掘りして考えてみたいと思ったので、noteで感想を書くことにしました。

私の感想の書き方

 感想の書き方というのは人によって千差万別だと思いますが、私はキャラとそれに合った言葉と共に自分の感想を書くことが一番自分の言葉を上手く表現できると思うので、このやり方でやらせていただきます。キャラのプロフィールは既知だとして書きます。


衝突と本音 ━━━ 千早愛音&長崎そよ

第10話より、そよの家でのぶつかりあい

嫌いだった序盤

 私にとって物語序盤でのこの二人のキャラに抱いた感想は嫌いなタイプの人間だなというものでした。理由として、愛音は口先ばかりで実力が伴っていないことを適当な言い訳でやり過ごそうとする点が私の嫌いな人種だったからです。一方、そよは八方美人な態度やこういう言い方をするのは良くないかもしれないですが猫を被ったような高い声が、上手く表現できないですが感覚的に嫌いでした。 

本音を出してからが二人の本番

 上記の場面写にあるシーンが二人にとってのターニングポイントなんだと思います。このシーンは愛音からはそよの裏表が激しい、嘘つきまくりと意地悪いとこがあること、そよからは愛音の見栄で始めたことをストレートに言い合うシーンです。
 このシーンを機にそよは燈のライブへ行き、『詩超絆』の演奏を経てバンドに帰って来ます。そして、以前のような八方美人な態度とは打って変わり、自分勝手な態度をとったり、猫かぶりの高い声もやめて素の口調であろう低い声に、ぶっきらぼうな言葉遣いに変化していきました。この状態のそよはとても好きで、アプリ版の方で時々見せる猫被りもアニメ序盤とは逆にキャラの魅力として好むようになりました。
 愛音はこのシーンで自分が見栄を張りたいからバンドを始めたことを認め、ギタリストとしての自分と正直に向き合うことができるようになりました。これは10話のライブの転換のシーンで立希が愛音に「準備できてんの?」という言葉に、今までの愛音であればおそらく「いちいちうるさいな」とか「・・・うん」と自信なさげに答えたりするだろう場面でしたが、愛音の返答は「ああ、はいはい」と至極冷静に言葉を返したところから愛音の成長が感じられると思います。こうして成長した愛音は、ライブ内容よりもバンド名や衣装を気にしたりと相変わらずな部分も残っており、頼りない部分も多いですがMy GO!!!!!を変えていこうとする原動力は愛音ではないのかとそんな気がしています。
 二人は自分の本音と正面から向き合えたからこそ、等身大のリアルな気持ちに迷い、悩み、苦しみながらも確実に進んでいけるのではないかと思います。

 過去に執着し、過去を取り戻せないことを知りながらも前に進むことを決めたそよが、それでも続いていく未来と、そして、まだ大好きとも大嫌いとも言えないMy GO!!!!!とどう向き合って行くのか楽しみにしています。
 そよと立希にダメ出しされることもまだまだありますが、ギタリストとしての自分と真剣に向き合えるようになった愛音が、自分の現実と向き合えるようになった愛音が、My GO!!!!!をどう変えていくのか楽しみです。

奔走 ━━━ 椎名立希


第7話より、徹夜で作曲をする立希
第9話より、後悔の立希
第10話より、開き直った立希

不器用さと優しさの狭間で

 最終回での出番の少なさから不憫キャラとして扱われがちですが、再びバンドが壊れないように、燈がバンドを続けてくれるように終始奔走していたのが立希だと思います。作曲、スタジオの手配、楽奈の世話、燈への気遣いなどあげればキリがないほど立希は様々な役割をこなしつつ、自分の想いとも向き合ってあちこちを走り回っていたと思います。
 その中でも立希は気持ちを上手に表せない不器用さと彼女なりの優しさを持った人物だと思います。これを象徴しているのが第11話で愛音に「あんなこと聞かされてもやってたのは、偉い」という言葉をおくるシーンだと思います。
 このシーンは立希の不器用な気持ちの中に内包された優しさがあることを表していて、立希を葛藤と迷いを抱えて生きる1人の人物として捉えることができるようにする要素だと思います。

エゴに揺れて

 第9話でそよの元に単身突撃した際にそよからは「立希ちゃんは、燈ちゃんがいればいいんでしょ」と本質的にはそよと変わらないことを突きつけられ、それを否定できませんでした。このシーンの後、海鈴を連れてきて練習を行おうとしますが、燈に拒否され、そよの本心を伝えざるを得なくなってしまいました。立希としては自身のエゴを最悪とわかっていつつも、それを貫こうと、そして、嫌いな愛音でも無遠慮に傷つけたくない想いから、そよのことを有耶無耶にしてバンドを上手く収めようとしますが失敗したということなんだと思います。
 その後、楽奈に引っ張り出されて燈のライブに参加し、燈の思いを受け取ったことでもう一度やり直すことを決意しました。
 そして、第11話のそよの家でのシーンでそよと二人きりの場面で、そよの本心に気づきながらも燈とバンドをするために見てみぬふりをしていたこと、立希自身も最悪であったことを認めました。
 自身のエゴを最悪だと認めたけども、第11話で、「このバンドいけると思う」といったように、このバンドを一生続けていくことで立希のエゴもいつか悪くはなかったと言える日が来るのではないか、そんな気がします。


 自身のエゴに苦しめられながらも、バンド、そして、燈のために奔走した立希は自分の気持ちを不器用にしか表せないですが、確固たる意志と秘めた優しさがバンドを支え続ける大きな力になるのではないかと思います。

自由 ━━━ 要楽奈


第10話より、立希を煽る楽奈
第8話より、「つまんねー女の子」
第11話より、愛音のベッドで気持ちよさそうに寝る楽奈

何にも囚われない自由さ

 楽奈は私が最も憧れるタイプの人物です。自分のやりたいことに忠実で、やりたくないことは一切やらない。でも、ギターを弾くことは誰よりも好きで、ギターを鳴らして生きるだけで幸せを感じているような「自由」が一生かかっても私には真似できないことだと思うのでとても羨ましいと思います。

おもしれー女の意味

 楽奈を考える上でこの言葉の真意について考えることは不可避だと思います。では、「おもしれー女」の意味は何なのか。私はバンドをする人間において目指す目標や価値観が異質なことを指しているのではないかと考えます。楽奈はそのギターの上手さからいろんなバンドから誘われていたようですが、それら全てを「つまんねー女ばかりだった」と語っています。
 楽奈にとって自由にギターを弾いて、ライブをして、音楽と共に一生生きていくことが重要なのであり、音楽で成功することやメジャーデビューすることなどはどうでもいいことなのだと思います。そう考えると、以前に楽奈を誘ったバンドというのはバンドで成功することを狙っていたところばかりだから、楽奈にとってつまらないことに囚われている連中だという考えがあったんだと思います。一方、燈は一生バンドをすることが目標であり、そのほかのことは眼中にないのです。この違いこそが楽奈にとってその人が「おもしれー女」かどうかの境なのだと思います。


 
 一生1人でギターを弾いて終わるだけかもしれなかった楽奈が見つけた、My GO!!!!!というバンドを楽奈の自由な音色と人柄がどう変化させて行くのか、どのようなバンドの一生を刻んでいくのか楽しみにしています。

謎 ━━━ 若葉睦


第1話より、CRYCHIC解散

無表情な友達思い

 睦は本作の中でも1,2を争う位の謎を秘めたキャラだと思います。その理由は感情が全く表情にでないこと、セリフがどれも淡々としたものばかりであったからだと思います。
 ですが、少ない情報量の中でも、私は睦は友達思いな人物だと考えました。その手がかりとしては以下の5つがあります。
・一話のCRYCHIC解散のシーンで祥子を孤立させないために祥子を助ける
 ような発言をした。
・My GO!!!!!のライブだけでなく、燈のソロライブのときも見に来ていた。
・燈と立希にそよを助けるように誘導するような発言をしに来た。
・My GO!!!!!のライブの差し入れに自分の好きなきゅうりを送り、そよに感
 想を尋ねられると「よかったね」と答えた。
・Ave Mujica加入の際に祥子に「祥子が壊れそうだから」と語った。
 中でも1つ目の祥子寄りの発言をしたことと3つ目のそよを助けるように燈を誘導するような言葉は重要なヒントだと思います。もし、一話の「私はバンドをやっていて楽しいと思ったことは一度もない」という言葉が本当ならCRYCHICに何の未練もなく燈やそよを気にかけることはないと言えます。しかし、実際には1回目のライブだけでなく、燈のソロライブにも通っていました。そして、4つ目の手がかりが燈やそよを気にかけていたことの証拠だと思います。きゅうりの差し入れを送ったのは燈とそよと立希が無事に再びバンドを組めたことへの祝福で、それは感想の「よかったね」という発言からもわかると思います。以上のことからCRYCHIC解散後にも祥子、そよ、燈、立希の様子を心配していたことは明らかで、睦は友達思いな子なのだと私は考えました。

 終盤でそよに感想を伝えれば冷たい返しをされたり、祥子を心配したら皮肉を返されたりと可哀想な扱いを受けていた睦ですが、続編では彼女の本心がみんなに上手く伝わるようになるのか、祥子を支え続けることができるのか注目しています。そして、どうでもいいかもしれませんが彼女のきゅうり好きの理由を知りたいなと思っています。

脆くて、強固で、心を現す詩人 ━━━ 高松燈


第9話より、絶望の燈
第10話より、詩をつくる燈
第10話より、ソロライブをする燈

弱いようで強く、強いようで弱い

 燈はCRYCHIC解散の原因が自分が上手く歌えなかったからだと思い込んでしまい、バンドが壊れることを恐れるようになり、愛音の誘いも断ってしまいます。しかし、その後CRYCHIC解散が自分ではないこと、立希への誤解が解けたことにより、一生バンドをするという条件(初ライブまでに修正されますが)で再びバンドを組むことになります。
 二度とバンド解散という傷を負いたくないからこそ、一生という言葉を使ってまで結成されたMy GO!!!!!ですが、そよの脱退や、そよの本心を立希から聞いた愛音はバンドを去ってしまいます。そうして事実上の解散となったことに燈は絶望し、「バンドなんて、やりたくなかった」と再び大きな心の傷を負うことになりました。
 その後、プラネタリウムで偶然出会った初華の「「詩」って伝わる気がするよね、上手に言えない言葉も、言葉以上に気持ちが」という言葉をきっかけに1人でも、演奏がなくても1人でライブをすることを決心します。
 このときの燈は普段の弱気で、内気な彼女からは想像もつかないほどの強さを持って、ライブに挑んでいることが何も考えずとも心に伝わってきました。
 そよに自分の想いが伝わるまで言葉を紡ぎ続ける強さを見せた一方で、一生という言葉に確信を持っているわけではない弱さと、一瞬一瞬をたくさん重ねていけば一生になると言える強さが、燈の弱いようで強く、強いようで弱い部分を形作っているのではないかと思います。

伝える力を持つ詩

 燈の紡ぐ詩は全てをストレートに伝えているわけでもなく、だからと言って難しい表現を使っているわけでもないように思えます。自分の受け取り方を上手く言葉にすることはそれこそ難しいですが、端的に言って「わからないけど伝わる、全てを理解したわけではないけど伝わる」というのが燈の詩なのだと私は思います。
 全てがわかっているようで全てが理解できたわけではない燈の詩に象徴されるように、全てがわかっているようで全てが理解できたわけではない何かがあることがこの作品が私にとって魅力的であることの理由なのかもしれません。

 傷つきながらも、迷子になりながらも一歩一歩進んで積み重ねた一瞬の連続が一生に繋がるように、迷うことに迷わないことを決めた燈がどんな一生を描き出すのか楽しみにしています。

原動力と業と覚悟 ━━━ 豊川祥子


第3話より、燈を元気付ける祥子
第7話より、『春日影』に驚く祥子
第8話より、そよを切り捨てる祥子

背負わなければならなかった業を背負いきれなかった青さ

 この感想の最後を飾るのはもちろん、本作の原動力と言ってもよい祥子だと思います。
 祥子は理由を告げることもなく自分が始めたCRYCHICを解散させました。なぜそうなったのかは続編で語られることに期待するとして、祥子はCRYCHICに未練を残すそよに話をつけるためにライブに行きます。
 そこで不甲斐ない歌を見せていた燈に表情で応援をしていることを伝えていたように思えます。その応援に呼応して燈が何とか歌いきれたことに安堵したような表情をしていました。
 しかし、その後の突然の『春日影』に驚き戸惑い、辛そうな悔しそうな悲しそうな涙を見せた末にとうとう逃げ出してしまいました。
 私が思うに、祥子の背負わなければならなかった業とは、どんなに辛くても悔しくても悲しくても逃げずに『春日影』を聞き届けることだったと思います。祥子ははっきり言って、理不尽に近い形で、自らの手で結成させたと言っても過言ではないCRYCHICを解散させました。だから、『春日影』の作曲者として、勝手に演奏したことに対する怒りというのならば正当であったのでしょう。しかし、自分が完成させるはずだった燈の『春日影』という歌から逃げるのは、自らの手でCRYCHICを解散させた責任に背くようなことになると私は思います。
 実際には、燈は何の悪意もなく、ただ自分の成長した姿を見て欲しくて、ライブ特有の何かが『春日影』を歌うことにつながったんだと思いますが、例え、祥子への当てつけで歌ったとしても祥子は自分の感情を押し込めて聞き届ければならなかったのですが、祥子にはできませんでした。これは祥子がまだ若かったから、弱かったから、青かったからなのだと私は思います。

重たい十字架を背負ってでも

 『春日影』を聞いたことで、燈が自らの手を離れてもやっていけることがわかってしまったことで、皮肉にも祥子にとっては完全な決別の覚悟をするきっかけとなってしまいました。
 そよを何の躊躇いもなく切り捨てるシーン、Ave Mujicaへの誘い文句が「残りの人生、私にくださいませんか?」であること、Ave Mujicaのライブの総指揮までしていることから、祥子はどんな苦難にあたっても目的のために、進み続ける強い覚悟ができたんだと思います。
 祥子がこれから向き合う苦難はおそらくとても厳しいものになると思いますが、それを全て乗り越えて目的も達成したのなら、背負った十字架を下ろして以前のように自由な心で純粋に音楽を楽しんでほしいとそう思うばかりです。

 生きるため、成し遂げるため、楽園を捨てて仮面を被り自分を偽ることにした十字架を背負った少女が進んだ先に見えるのは、全てが報われたハッピーエンドか、さらなる地獄か、今はまだわからないけれども、今度こそ後悔のない、自分の手による終幕が訪れることを楽しみにしています。

終わりに

 最後まで読んでいただきありがとうございました。私自身まだまだ理解しきれていない部分も多いので、また何回も見直して新たな発見をしてみたいと思います。今作では全てまとめての感想になってしまいましたが、続編では1話ずつ感想をあげられればいいなと思います。

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