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クサヤ頌

帰宅すると頭を麻痺させることが先決で、換気扇は回しっぱなしだ。もちろんその前に、何とかバイオリンの練習を済ませる。朝にエチュードは一回やったので今は最初から曲の練習。

一夜干しのワカサギ。初めて見つけ、楽しみに買ってきて焼いたが、塩辛くてとても食べられなかった。ワカサギが知らぬ間にこんなにも塩っ辛いとは。ワカサギとは淡水魚だったのではないか。

ため息。今日も大勢の意見の違う人と会った。地球と火星程ではないが、生存環境の違いは発想の違いだ。不思議なのは、誰もが自分の考えが当たり前だと思っているらしいことだ。例えば、こんな弟とは一緒には住めないと家を出ていってしまった人には驚いたが、その実行力は誰もが真似出来るものではない。きっと彼はどこででも何とか生きて行けると思う。幸せに暮らしてほしい。

一夜干しのワカサギには微かに発酵臭があった。こんなことならいっそのことクサヤの方が良かった。クサヤほど純粋な食べ物はない。魚醤の甕の中で魚が純化されるのだろう。伊豆の大島に親戚が居た頃、毎年夏に遊びに行った。僕たちが行くといつも、島の親戚はとても喜び、できたてのクサヤを大盤振る舞いしてくれた。僕はすっかり立派なクサヤサポーターになって、お土産に持たされたムツのクサヤを自宅のベランダで焼いて食べた。もう今はそんな近しい親戚は大島にいない。クサヤも久しく食べていない。

死にたいと言ふひとおほしそのまへに耀くクサヤのかほり届けむ