とってもありがとうの話

ありがとうバイトさん

note、お久しぶりです。
多分二回目とかなんちゃうかな。すんません、さぼって。
文章書くより基本口使って喋る方が好きなんですよね。でも久しぶりにこうやって活字に手をやると脳みそがスッキリしてきます。

 さて、活動を初めて3年3ヶ月と経ちまして、てゅいったーのフォロワー様が1000人に到達いたしました。僕は本当に品のかけらもなく醜く数字に捕縛されておりますが故、この数字には大きな意味を感じております。
 
 なんの気無しに始めた、僕の脳みその整理、憂さ晴らしの音楽に対して、あるいは映像、あるいはイラスト、あるいは廣本俊平という個人に興味を持ってくださる方が概ね1000人もいてくださることは本当に僕からすれば異常事態です。

実は最近

 虚血性腸炎になりました。三年に一回くらいなるんですよね。うつ病や不安障害の二次災害的なものです。ストレスを感じると僕のプリプリの可愛いおしりから血が出ます。病院に行くと入院させられるので家にこもってます。今は血は止まりある程度元気に日常を滑られるくらいには回復しました。そのためしばらく楽器や曲作りから離れておりました。仕事も溜まっているため、ボカコレはやっぱり厳しいかもです。最善は尽くしますが。

気の迷いがエグかった話

 僕はダメな時に他者との関係を塞ぎ込む傾向があります。それの延長である日(5ヶ月前くらいかな)、綿密に自殺旅行計画を立ててました。そのためにお金貯めるためめっちゃ仕事もしてました、人は目標があると頑張れるってよく言ったものです。北海道でうまいもん食って、女性と遊べる店とかに行ってみちゃおうかなとか。そして最後は自分の生まれた土地の綺麗な景色見ながら死のうなんて。いろんな病気が悪化してこれからの社会生活の継続が不可能に感じた結果でした。病気のせいにするにはあんまり好きじゃないんですけど客観的な自己評価としてね。

 余裕を保つには逃げ道をずっと用意するっていうのは僕の一つの心の支えでした。昨年は車の牽引ロープをホームセンターで購入し、いつでも死んで逃げる準備をしてみたりしました。情けないし最低ですねほんと。

諸々、ヒロモトが人間ごと変わった話

 うつ病は相変わらず悪化を重ねてます。それでも僕が前向きに生き始めたって言う話だけしたいです。考え方が変わったと言うか、人として変われた機会がここ数ヶ月で何回もあって。例えば一つに、超会議でGaLのみんなで眺めた幕張メッセの景色、大事な仲間が自分にもできて、同じベクトルではないけど同じスカラーを持って一緒に歩ける仲間かできた実感がそこでとっても沸きました。もう一つに音楽仲間が香川に遊びにきてくれたこと。僕の生まれた土地を好きになってもらえた時、自分ごと肯定されたみたいで涙が少し出ました。また一つは、大切な人が増えすぎたこと。僕がサボったり、逃げたり消えたりしたら悲しんだり怒ったりする人がいるってことに漸く、気づきました。
 僕に足りなかったのは音楽家である覚悟もそうだけど何より人間として生きることに対しての向きあう覚悟だったんやと思います。

絶対死なない

 生涯かけて幸せにしたい人が僕にはたくさんできました。今、生きる必要と生きたい理由が増えすぎました。僕は一人で生きていけないので、支えてくださってる皆様に、本当に、心底感謝しながら、全員に漏れなく恩返しするためにこの命を全うしようと思いますな。と言うことを最近毎日考えております。

 時間はかかると思うし、人間はそう簡単に変われないのは重々承知なんですけど、努めます。

無限自分語り編、終了

 引いて開く扉はもう選ばない、押して開く扉だけを開け続けようと思います。MCアフロもそう言うてます。

 今後は曲の小話を丁寧にあげていこうかと思います。興味あれば、覗いてみてくださいね。



諸々、全て、ありがとうございます。愛してるよ、僕の生きる理由の皆。

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