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備忘:多神教・神道・古代宗教

「神道が平和主義」という神主さん家族の人がいました。

よく分からなかったので、相も変わらず俄か勉強ですが、手元にある「探訪・神社寺院史話総覧」(歴史と旅 臨時増刊 第二十一巻第十二号:諸国一の宮総覧・国分寺総覧に惹かれた)とか
「日本の美術2 No.81 古代の神社建築」(昭和48年2月15日発行:神田古本市で入手)とか、
2012年が古事記編纂1300年ということで求めた「日経おとなのOFF:入門ニッポンの神様」とか
「ゼロから知る「古事記」」なんかを脇に置いて(置いとくだけか~い)、ネットにある情報なんかを整理しつつ思うところを認[したた]めておきます。

その筋の人には「釈迦に説法」ならぬ「命[みこと]に教話」かもしれません。

【多神教】

まず、多神教と言われる宗教にはそもそも「何々すべし」、「何々してはならない」というレベルの教義というものがあるのかな、というあたりから。

多神教と聞くと、八百万の神の「神道」はもちろん、インドの主たる宗教である「ヒンドゥー教」、日本にも入ってきている「道教」あたりが思い浮かぶ。また神話の「ギリシャ神話」や「ローマ神話」、あるいは「ケルト神話」や「北欧神話」なんかも神殿があったりして多神教と言ってもいいでしょう。

他にも意外と信者数が多いハイチなど中南米の「ブードゥー」や類似の民間信仰(いろいろ混じっていて混交信仰とも言われる)も多神教でしょう。「ブードゥー」におけるロアやキューバの「サンテリア」やブラジルの「カンドンブレ」のオリシャなどもいろんな神様達の総称で、いずれも時代は新しいのだけど宗教の起源であるシャーマニズムやアニミズムの色彩が逆に色濃く出ているような気もします。

こうした多神教の神話世界というのは宇宙創成や国造り、自らの民族誕生の物語であり神々の闘いや征服の話がいっぱい。その物語から教訓としての平和を説き起こしているかというと、どちらかと言えば自らの正当性の根拠として神話が出来上がっているんじゃないかなぁとも思えて、あまり平和主義とは言えない気がする。

ヒトは恐らく農耕ゆえに定着し始めて自らの部族のような意識が強くなるにつれて、畏怖すべき自然に対する崇拝を具体的な祭祀という行動で表し、ヒトが得た能力をフルに活かした口承によって物語を、器用な手を使って様々な造形を生み出し、やがて全体が体系化されることで宗教というものになっていく、そんなプロセスなので集団が大きくなるのに必要な闘争の臭いの方が強いんじゃないかな。

という訳で、多神教と呼ばれる宗教では祭祀や日常的な儀礼という行動を律することはあっても、一般にイメージするような教義らしい教義はあまり明確になっておらず「平和主義」が前面に来ないような気がします。(勝手な考えなので反例があれば是非とも知りたい)

【神道】

さて、日本の「神道」ですが「儒教」でも顕著な祖先崇拝あるいは祖霊信仰というところが特徴的だとも言われているようです。確かにそうかもしれないけど、儒教より少し政治寄りの祖先崇拝という印象かな。

ネットで見てみると「浄明正直(浄く明るく正しく直く)」が神道の共通項だと書いてあったりする。あの空間の「すがすがしさ」なのでしょう。

近世の「復古神道」では、荒魂[あらたま:勇・調和]、和魂[にぎたま:親・活動]、幸魂[さきたま:愛・幸福]、奇魂[くしたま:智・霊感]を直霊[なおひ]が制御するというような「一霊四魂」という考え方も神学的な考察の中から生まれているようで、このあたりになると教義、あるいは教理らしいものも出てきそう。

最初の「神道が平和主義」かどうかは結局のところよく分かりませんが、神道で言う「浄明正直」でさえも控え目な主張で、他のいろんな神社や宗教に対しても懐が深いところが、平和主義と言えば平和主義かもしれないと独り言つ。

あと、神道は仏教との関係抜きでは語れない。もし神道から仏教を引き算しちゃうと随分と寂しい気がする。

たとえば「本地垂迹」説の方では真言宗系の「両部神道」や天台宗系の「山王神道」が著名。

逆にアンチ本地垂迹の「神本仏迹」説の方では「伊勢神道」(渡会[わたらい]神道)や仏教・道教・儒教を取り込んだ「吉田神道」あたりが有名どころ。これに時代によって変わる神仏習合・神仏分離というのが絡んでいる。

近現代になると「黒住教」・「金光教」・「天理教」や「出雲大社教[いずもおおやしろきょう]」などの神道十三派を含む「教派神道」というものも出てきたし、対を成すように「神社神道」というジャンルも作られた。実はこれが一番馴染みがありそう。
もはや「国家神道」というのは消えたはずだけどWW IIあたりまでは凄かったんでしょう。今では「神宮」として別格の伊勢神宮を本宗とする包括宗教法人「神社本庁」系が引き継いでいるみたいだけど随分と柔らかそう。

別体系で各地の一宮や式内社、名神=名神大社、総社・惣社というのもあったりして、ややこしやぁ。

【関連リンク】

・神社本庁:まるで近所のかかりつけ医のように氏神様押しです。確かに末端は大事。
http://www.jinjahoncho.or.jp/izanai/eachjjnja/
http://www.jinjahoncho.or.jp/iroha/jinjairoha/kamisama/
そんなこんなで、文化庁統計によると日本国内で約81,000の神社があるらしいが、なかなか系統立てて整理しづらい。

・文化庁の宗教関連統計に関する資料集
http://www.bunka.go.jp/tokei_hakusho_shuppan/tokeichosa/shumu_kanrentokei/

・文化庁の宗教統計調査
http://www.bunka.go.jp/tokei_hakusho_shuppan/tokeichosa/shumu/

【神社】

別格の神宮である伊勢神宮を頂点とする多くの神社本庁系の神社、(あんだけ苦労してまとめ上げた国を譲っちゃうんだぁの)大国主命の出雲大社を総本社とする出雲大社教の系列の神社(1300社以上らしいが統計上の宗教団体である教会は約210程度)、伏見稲荷(神社本庁に属さない単立[たんりつ]系)を総本社とするお稲荷さん(とっても多いはず:江戸時代初期には「江戸名物、伊勢屋、稲荷に犬の糞」という戯れ歌まであったらしい)、以下、神社本庁系と重複するかもしれませんが大分の宇佐神宮や岩清水八幡宮、鶴岡八幡宮などの八幡さん、福岡の太宰府天満宮や大阪天満宮、京都の北野天満宮、東京の湯島天神、亀戸天神など各地にある天神さんも親しみがあります。

あと、1.屋根が寄棟造りではないこと(ほとんどが切妻造りで入母屋造りが少し)、2.床を高く張ること、3.瓦や土壁を用いないことの3つの特徴で括られる神社建築の話や鳥居の話などもありますが、そのうち気が向いたらとします。

新年の風物詩である初詣、最近では締め詣とか納め詣とでも呼べるような、人の少ない清明な空間で感謝の念を奉じるようなお参りも提唱されていたりする。

はい、年の瀬のお話でした。

 日^日  ヒロモチ
  U   
  一   広本 治

【移行元】

https://www.facebook.com/HIROMOTO.Osamu/posts/946820808745831

【追記】道教、鬼門、無記、

◆コメント1:道教
メモ:日本における「道教」について
http://www.spc.jst.go.jp/experiences/change/change_1210.html

日本道教学会
http://www.taoistic-research.jp/

◆コメント2:鬼門と鬼門除け
少し切り口が異なるが「鬼門」についての面白い記事があったので追記

ざっと見ると平安時代なども風水などは気にしていたようだが徳川幕府の始めのあたり天海などがうまく利用して広まったようにも思われる。
暦や方位に関する事柄は文化の根幹に関わるものだろうから、白石の時代には相当に浸透していたのでしょう。

 ▼「鬼門」との正しい付き合い方、日本人が恐れる鬼の正体とは
http://www.homes.co.jp/cont/press/reform/reform_00488/

 ▼「鬼門除け」今も京都に残る3タイプの「鬼門除け」を探してみた。触らぬ神、龍腹徳袋、角の削り落とし
http://www.homes.co.jp/cont/press/reform/reform_00514/

◆コメント3:無記
メモ:無記:(原始)仏教においてお釈迦さんが、考えること自体が時間の無駄になるというようなことで回答しないとした問い。捨置記[しゃちき]とも呼ばれ今で言う「ノーコメント」で、逆に答えを出すのは「授記」と言うらしい。

時間や空間、死後や霊魂に関する問いの「十四無記」などが有名。

マールキャプタとのやりとり「毒矢のたとえ」が面白い。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%84%A1%E8%A8%98

◆コメント4:廃仏毀釈
メモ:氏神、鎮守の森/杜[ちんじゅのもり]、産土神[うぶすながみ]、地主神[とこぬしのかみ/ぢぬしのかみ]
 
なお、氏神-氏子については、明治時代、廃仏毀釈の動きでも分かるように神道を国のベースにしようとした明治政府が1871年(明治4年)~1873年(明治6年)の僅か2年間だけ法令に基づいて実施した氏子調/氏子改/郷社氏子制という制度があった。身分証は「守礼」で戸籍は「氏子籍」(壬申戸籍)と呼ばれている。
 
お寺の方では「寺請制度」というのが、江戸時代以降にもともと切支丹を排除するために作られたが、「氏子調」はこれの神社版なのだろう。
 
ちなみに寺請制度では、檀家(壇越)と檀那寺の関係を明確にする「宗旨人別帳」が宗門改めとして「本末制度」を通じて維持管理される。これがやがては「無宿人」を生み出していくことにもなる。
 
https://www.facebook.com/permalink.php?story_fbid=10153948222103769&id=34170123768

◆コメント5
メモ:松岡正鋼:1581話
http://1000ya.isis.ne.jp/1581.html
 
松岡正鋼
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%BE%E5%B2%A1%E6%AD%A3%E5%89%9B

◆コメント6:中今
メモ:中今[なかいま]:神道における時間の捉え方として、神話の時代から未来に流れている時間の中の「今」という感覚、考え方らしい。

◆コメント7:古神道とアニミズム
メモ:柱(心柱・芯柱・親柱、ご神体の数え方:一柱・一座)、
山岳信仰(山の数え方:一座)、古神道・神祇信仰、自然崇拝、マナ、御神木・霊石・稲妻、神代[かみしろ]、神奈備[かむなぎ]・神籬[ひもろぎ]・依代[よりしろ]・憑代、
磐境[いわさか](磐境神籬[いわさかひもろぎ])、磐座[いわくら]・磐坐・磐倉・岩倉、

注連縄[しめなわ]・標縄・七五三縄、紙垂[しで]・垂、髭籠[ひげこ]、
言霊信仰、祝詞(宣命体・宣下体:宣る[]のる・宣たまふ[のりたまふ]/奏上体:白す[まをす])、禊[みそぎ]、祓[はらえ]・修祓[しゅばつ/しゅうほつ]、(沖縄の)御嶽[うたき]、
現世[うつしよ]/常世[とこよ]・幽世[かくりよ]・隠世、・・・

ホモサピエンスも直近の1万数千年の温暖な間氷期を島嶼国である日本で楽しんでいたようで、縄文時代は季節ごとの自然の恵みを大いに享受していた珍しく安定した社会であったらしいし、農耕と大陸の文化が入ってきてからも「豊葦原の瑞穂の国」としてある期間は資源の奪い合いをする必要が少ない幸福なところだったんでしょうね。

◆コメント8


◆コメント9

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