見出し画像

京都は京洛?

2018年に上野で仏像が公開された「大報恩寺」は「京都市内(京洛)最古の木造建造物」とのことで、京都市内が「京洛」かなぁと気になる。

京洛の読みは[きょうらく]・[けいらく]で昔の洛中洛外図の範囲も京洛だと思われるが果たしてどうなのだろうか。
 
ということで「洛」について以前に認めたものに少し手を加えてノートにしておく。
#豆備忘
 

地図の「上が北」に慣れていると京都の右京区(西側)と左京区(東側)がピントこないが「天子南面、臣下北面」に由来すると言われている。

そもそも中国において天子が南面するというのは、天空の中心で動かない北極星を天子に見立てたのか、南中する太陽の方を向いて政を司っていたからなのか、よく分からないけど、いずれにしろ天空と天体には関係していそう。

左右の序列についても、星や太陽が昇る東側、つまり南面して「左」の方が「右」より上とされる「左上右下[さじょううげ]」なのも、まぁ頷ける。


マクラはこのぐらいにして、トリビア・ポタリングのついでにちょこちょこ拾ったことを書き留めておこう。
#豆備忘

日本の8世紀の都、平城京や長岡京、平安京は当時アジアで最も先進的だった隋・唐の都「長安」を模して造られたのは有名な話。

隋・唐時代の中原では、西に通じるシルクロードの起点で黄河の支流のひとつ渭水流域にあった「長安」だけでなく、東の、やはり黄河の支流のひとつ洛水流域の函谷関と虎牢関の間にある交通の要衝「洛陽」も都として、両都制度(複都制度)で守りを固めていたという。

「長安」は今の陝西省[せんせいしょう]の省都「西安」で、「洛陽」は黄河の南という意味の河南省に位置する。

唐の終わり頃には「長安」は戦乱で荒廃しため、中心は東の「洛陽」へとシフトしていく。

一方、日本では天武系・天智系の天皇家の勢力争いの過程で今の京都に平安京が遷都された。

これは当時流行の陰陽五行・四神相応の思想から、中心の黄龍(あるいは麒麟)を天子が坐すところに見立てて山川道澤[さんせんどうたく]を割り当てる(村井康彦らの説による)と、
・青龍(東・流水):鴨川
・朱雀(南・溜池):巨椋池(宇治川付け替えで1941年には埋め立てられた)
・白虎(西・長道/大道):山陰道
・玄武(北・丘陵):船岡山
という具合に、京都の実際の地形がぴったんこだったから。

都を定めてすぐの嵯峨天皇の時代に、当時の中国における西の長安と東の洛陽を模して京都の西(右京)を長安城、東(左京)を洛陽城と称したそうだ。

ただ、西の方には桂川があって湿地が多く人もまばらで廃れ気味だったそうで、そこから「洛陽城」の方が平安京の代名詞として優位になり、上洛や洛中・洛外などの「洛」に繋がっていく。


で、長らく日本の「都」だった京都も、明治政府の騙し打ちみたいな目に合って、東京に奠都[てんと]されちゃったようですw

意趣返しという訳ではないだろうけど、ひな祭りの男雛・女雛の位置は、明治政府が推奨した西洋風の男女の立ち位置に抗い(?) 今でも古来のままとのこと。

  「せやけど、男女の【位】の方が、とおの昔に入れ替わってはりまっさかい!」


#知ポタ  
▼「京都」の由来   

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%AC%E9%83%BD#%E3%80%8C%E4%BA%AC%E9%83%BD%E3%80%8D%E3%81%AE%E7%94%B1%E6%9D%A5
▼東京奠都
📷https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E4%BA%AC%E5%A5%A0%E9%83%BD

▼平安京
📷https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B9%B3%E5%AE%89%E4%BA%AC

▼洛中
📷https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B4%9B%E4%B8%AD

▼洛陽
📷https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B4%9B%E9%99%BD%E5%B8%82

▼「洛中」や「洛外」について
https://serai.jp/tour/251347
 
▼「洛北」、「洛東」、「洛西」、「洛南」
https://syasin.biz/kanko/rakutyu/

 日^日  ヒロモチ
  U   
  一   広本 治


元の「ノート」
https://www.facebook.com/notes/%E5%BA%83%E6%9C%AC-%E6%B2%BB/%E4%BA%AC%E9%83%BD%E3%81%AF%E4%BA%AC%E6%B4%9B/1988216541272914

As you Like it. No worries.