Lound
学食にサウンドシステムを入れて、クラブ化するイベントを、わたし達は、Loundと名付けた。伊藤くんがフライヤーとポスターをデザインして、みんなに配った。チケットが予想以上に売れて、最初から、Loundは大成功だった。イベントをやる度に、みんなに次はいつやるの?と聞かれて、Loundは、キャンパス内での一大イベントになっていった。
Loundでいつも回してくれた一個先輩のDJたちは、今でもCrystal(現在はXTAL)やpeechboyとして活躍してる。みんながどんどん上手くなっていく過程を間近で見られて、ほんとに贅沢な空間だった。
わたしはただただ、ダンスフロアで踊るのがたまらなく好きだった。卒業後も、彼らのDJを聞きながら、目を閉じると、いつだってLoundの風景が浮かび上がってきて、ずっと、何年経っても、好きなことは変わらないんだな、と思いながら踊っていた。
わたし達が三年生になったとき、伊藤くんは福田和也先生の研究室に入って、ゼミの課題で雑誌を作り始めた。わたしはもともと国際政治がやりたくて、ユーゴスラビアの内戦について研究したりしてたから、国際政治や比較近代論が専門の、梅垣理郎先生の研究室に入ることにした。
伊藤くん達の作り始めた雑誌は、「モンスーン」という名前になった。伊藤くんからいろいろと話を聞きながら、ネタになりそうなことを、ずっと2人で話しては、盛り上がっていた。でも、わたしの心の中は、何か悔しいような、取り残されそうな不安を感じ、少しモヤモヤし始めていた。
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