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石臼と粉体とパン

石臼に興味をもって随分たっている。
思えば小学の時に壺井栄の「石臼の歌」を読んで以来のことかもしれない。

石臼の歌は、瀬戸内の田舎に住む千枝子が祖母とともにお盆に集まる妹のような従姉妹のために団子やうどんを作るための粉を石臼で挽く。石臼は重く、ゆっくりと回る。重い振動音。そのリズムで眠くなるのが嫌な千枝子に祖母は「団子がほしけりゃ臼回せ」と石臼が歌っているのだと語る。

この情景がなぜだかすごく印象に残っていて、石臼に対して特別な気持ちをもってしまった。回転式の石臼を回して小麦を挽く、という行為に単純に惹かれていたのだとも思う。

その頃、母や伯母に「昔は石臼があって大豆を炒ってきな粉にして食べていた」と聞いていたのもある。
母方の祖母は鹿児島の出身でソウルフードのあく巻き(竹の皮に包んだ餅米を灰汁で煮て圧力がかかる事で勝手に餅化するうえに灰汁によりアルカリ化し日持ちするようになり、独特の風味とわらび餅のような食感の食べ物)にきな粉をかけて食べるために石臼で大豆を挽いたというのだ。
市販のきな粉を食べては昔のとは味が違うと言っていた。

そうなのだ。石臼挽きの粉たちと電動挽きの粉ではその風味に雲泥の差が生じてしまう。昨今のスロージューサー流行りもそこに行き着いた結果なのだと思われる。機械だと味や成分が変質してしまう。 

たとえば蕎麦が狂ったように好きな人たちの中には蕎麦粉を満足のいく状態に挽くために自作で電動石臼を拵えているような人もいる。石臼挽きの蕎麦粉でなければ本物の蕎麦を食べたことにならない、という思いもあるらしい。

私自身はそんなに繊細な舌を持ってはいないから機械で挽いたものとの区別つくかどうかはわからないけれど。 

でも。

電気の恩恵は充分に受けた生活を送っているが、それでも食べ物、特に粉もの、粉体においては石臼挽きに勝るものは未だないのだと思っている。味覚に自信はなくともコーヒーは安いモーターの電動ミルで挽いてしまうと美味しくないというのはわかるようになった。

石臼と粉体。
粉体が存在しなければ人間の文明はここまで発達しなかったかもしれない。
ちなみに粉体という言葉を日本ではじめて使ったのは寺田寅彦先生。
当然粉体の未来を考える、粉体工学会もある。

粉体のその応用分野は幅広く、食品から医療、電子機器、原発燃料とあらゆるテクノロジーと密接である。
もちろん、有害な粉体についても研究しているので川田十夢はじめ現代人が頭を抱え項垂れる花粉及び微生浮遊物の研究もしてくれるありがたい学問だ。

しかし、その原点はやはり穀物の栽培とそれにかかる石臼の進化によるところが大きい。
硬くて顎の力が半端なく必要な穀物も木の実も粉にすれば食べられる。そのことに気づいた人類は安定した食物供給が可能になり、飢餓からの脱出に成功することにより人口が増えていく。
さかのぼること、1万7 千年前には既にそれなりの石臼が使われていたのだという。

面白いのが古代エジプト文明。
彼らは長いことサドルカーンと呼ばれる台座に棒状の石を押して力を込めて挽き潰す、といった感じの道具を使っていた。回転式のロータリーカーンが東アジアで使われるようになってもなぜかエジプトには伝わらなかった。 

なので一世紀頃までサドルカーンで挽いた小麦を使ってパンにしていたが、その弊害は歯にあらわれている。
エジプト人はパン食い人と呼ばれるくらい毎日パンを食べていたのにサドルカーンで挽く都合上、パンに石の粉や砂が混ざりそれを毎日食べるものだから歯が削られ、年令が高い人ほど歯が摩耗していたというのだ。毎日毎日、歯が削られるパン。おそろしい。 

この頃、小麦も大麦も栽培されていたのだが小麦のパンのみ食べていたわけではなく、大麦のパンも食べていたようだ。グルテンの作用の弱い大麦のパンは重くて固かったろう。
現在も大麦のパンが売ってあるが、試しに購入してみたら5分くらい水に浸けて柔らかくして食べろということだった。それでも歯ごたえがすごくて顎が疲れた。大麦にはホルデインというタンパク質が2パーセント程しかないので小麦のように柔らかく膨らまないのだ。 

しかし、小麦タンパクのグルテン憎し!という小麦タンパクを忌避する食事が啓蒙されそこそこに大麦のパンは流通している。
古代小麦とよばれる小麦も流通している。おそらく古代の小麦と現代の小麦は改良に改良を重ねたことが改悪になり、アディクトを起こすような改良をなされているのだという恐ろしげな説も流れている。 


しあわせの象徴のような焼きたてのパンが、人類の叡智たるパンがいまやヒールと化してしまった。この辺りの変遷も石臼と粉体文化に興味を持つきっかけになっているのだけれど。

アンデルセン童話のパンを踏んだ娘という悲しげなお話がある。美しさに慢心した傲慢な娘が子供のいないパン屋の養女になり、ますます慢心してついにはパンを届けるようにいわれてお使いに出たのに靴が泥にまみれるのを厭うてパンを泥よけにして踏んでしまい、地獄に落ちるものの反省して雀に姿を変えられるという話。
NHKで影絵アニメーションとして放送された。


と、彼女に伝えたくなる話だがこれにしたって石臼があったからこそ生まれたお話だ。寓話として生きるパン。 そもそも塩とパンといえばあばら骨のあの人の教えになる。 

パンを作るのに欠かせない石臼。どれだけ石臼が生活に必要だったかが垣間見えてくる。
日本に散らばる仕事唄としての粉挽き唄や臼挽き唄。重い石臼を挽かされては可哀想だと嫁入りに使い慣れた石臼を持たせるのが親心でもあったという。

こんな風に石臼は人々と共に文明を築いたのだ。そして酵母と小麦の出会いについてはまた今度。老麺法(パート・フルメンテ)という技法で作った小麦料理の美味しさは格別。

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