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ない可能性を拡げる人


またもや光の速さの更新だった。

欠落を補うようなすごいところがあってもなくても、あなたは愛されているし欠落したままでなんら問題はない。

知能指数であなたの魂を推し量れることなんて何一つないのだ。指数とはつまり統計であって特性を数量的に測って得られる数値のことである。その数値次第で人生が左右されるなんてたまったものではない。

たまったものではないが特性を理解していく手立てにはなるだろう。くらいの捉え方でいいのだ。100人いたら100通りの生き方があっていい。が、現実はそんなことはないというのも経験としてわかっている。

川田十夢の今回のnoteの更新はラジオ番組INNOVATION WORLDのBrain laboratoryで語った自らの経験としての話だ。幼少期に自閉症と診断され、それを現代に照らし合わせるならサヴァン症候群と呼ばれるのだと語っていた。

今までこの事を明言してこなかったことについて"「自閉症の人がハンデキャップに負けずに頑張ってる」という理由で売れたくなかったからです。欠落していることも、わりと能力があることも伝わっている現在であれば、むしろ同じ境遇にある人たちを励ませるのではないかと。リスクあるけど書きました。"ということだった。(そのきっかけはみうらじゅんと会話したことによる。)

当然1979年当時、『自閉症』と診断されることはとてつもなく重かったと思う。概念が浸透していないところで「普通の学校へは通えない」と宣告されたならその絶望は川田十夢のお母さんが心に鉄塔が突き刺さる心持ちになるのも宜なるかなと思える。

スパルタのスイミングスクールに放り込まれたり、あらゆる習い事を経験させたり、新築のマンションの白い壁一面を川田十夢のらくがき帳として差し出したり。出来る限りを努力なさったことは、それが思い込み比重高めでもこれまた宜なるかなだ。

川田十夢の家族からの溺愛ぶりはその話ぶりから漏れ伝わるものがある。2歳下の妹さんからさえ溺愛されているのではないかと思えるほどに。幼児期、医師からしたら言語発達に問題ありとされたのだろうがそれでさえ本人にしてみれば指差すことで家族には理解されて、事足りる幸せな状態だったのだ。しかし、それでは立ち行かないのが社会である。特に学校社会という名の均一な状態からはみ出るものを排除したがる構造では。 

その現実を同年代の集まる公園で知り、医師の診断を突きつけられることにより川田十夢は自分のことを何かしらアッピールしてゆかないと場所に馴染んだことにならないのだと、あの診断から学ばされました。と書いている。そして川田十夢の血の滲む努力がはじまったのだ。

私自身小学一年生の頃に他の子とあまりにも様子が違うので学校で知能検査を個別に受けさせられた。今で言うところの支援学級で試験を受けたのだが、明日からここに通うことになるのかと絶望した。差別と言われてもそこの場は怖くて仕方なかった。

検査結果としてはむしろ知能指数自体は高く2、3度病院かどこかに行って有耶無耶になった。その後も先生の指示に従えない誰とも話さない子供だったがなんとかすり抜けた。
学校で先生のお気に入りの生徒の真似をしたらいいのだと気づいたのだ。

そうやってすり抜けらたられたことがよかったのかどうなのか考える事はある。凸凹がひどく出来ないことが多い。感覚が他の人と著しく違うのはとっくの昔に自覚している。それは年齢を重ねても埋まることはない。それなりに孤独もある。

とはいえ、川田十夢がいうように真っ暗闇に届く光は途轍もなく美しい。生きていればなんとかその光に出会うことが出来るのだと実際その光に出会った私は声を大きくして強調したい。必ず光はあるし、出会うために外界にでなければならない。外界に出るための努力はしたと思う。

ただ悲しむべくは川田十夢が「通りすがりの天才です」と名乗ることにエクスキューズが必要であるということだ。ラジオでも語っていたがお叱りがいくつもあったそうだ。自ら名乗るとは何事だ、天才は自分から名乗らない等々。
それに対して川田十夢はこう言う説明をラジオでもししていた。
"時々やっぱり僕の言うことが伝わらないんですよね。相手が仲良いと思ってたのに急に僕がわけわかんないことを言うから「ごめんね、わかってあげられなくて」ってことを先に言われるから言われる前に「僕天才だから気にしないで」ってことを言ってたんです。"と。
つまりはむしろ謙遜した周囲に配慮したタイプの天才なのだと。通りすがりの天才という名乗りの真の意味であると。

川田十夢のような突出した才能を持つ人が特性を公表することで同じような障害や特性を持った人が励まされることや大きなキッカケになることはあるだろう。
しかし「自分とは違う」と、言いたくなる人もいるだろう。苦しい自分の現状を理解してくれという意味から同じ特性をもつ成功者を憎む人もいる。いや、とくに障害や特性がなくても現状に納得いかずに世の中に恨みの気持ちが強くなっている人もいる。

でも、そう言う人も含めて多くの人がたのしめるような世界に川田十夢はしようとしている。川田十夢がたくさんの人の気持ちを集めることが出来るのはその矢印をはっきり示してるからだ。天才と名乗るその謙遜と同じく慎ましく真摯に世の中から生きることにデフォルトで内蔵されている惨めさをひとつひとつ取り除く作業の先に光が見えますようにと。

生きることにデフォルトで内蔵されている惨めさをひとつひとつ取り除く作業の先に光が見えますように。
— 川田十夢 (@cmrr_xxx) April 30, 2016

川田十夢。十の夢。お父さんが夏目漱石の夢十夜から取った名前だと言う。でも既に十以上の夢をたずさえてたくさんの気持ちを集める存在になった。

欠落していてもいい。欠落を補うすごいところがなくてもいい。愛されているということを知っていてくれればそれでいいと私は思っている、自分自身にもそう言い聞かせてるし広い世界でいたたまれない気持ちになっている人がいるならそう伝えたい。夢をもう一度みることはできる。自分なりのやり方がきっとある。そして、やがてあなたの世界がみつかる。
それが川田十夢を見ていて私が信じていることだ。

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