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靖国神社ほんのり不思議話

靖国神社。
ここは、外国との戦争で亡くなった方だけではなく、太平洋戦争以前の国内の動乱などで命を落とした方も、まつられている場所です。
国会議員などが靖国神社に公式参拝をするたびに、抗議を受けたり、テレビや新聞で大きなニュースになりました。
靖国神社には、他の神社とは何か違う、何かを感じてきました。

わたしの父には、戦争でなくなった、ずいぶん年の離れたお兄さんがいます。
お盆に、父の実家のお墓参りをするたびに目にしていた、戦没地として墓標に刻まれている、異国の見知らぬカタカナの地名と、通信兵で、海の向こう、遠い遠い南方の地で若い命を落とした、会ったことのない伯父さん。

でも、靖国神社には、進んでお参りをすることはありませんでした。
それが、昨年ある人の言葉がきっかけで、お参りしてみようという気持ちになりました。
「靖国神社には、国の礎になった人たちがまつられている(諸説あると思います)。良いか悪いか、それは自分が足を運んで決めるもの。」

わたしの誕生日は、靖国神社のお祭り「みたままつり」と同じ日です。これも何かの縁だと思い、自分の誕生日に、お参りすることにしました。

昨年の7月、スーツを着込んで靖国神社に出かけました。
黄色の灯篭や大きな提灯が数限りなく灯されています。すでに大勢の参拝客でにぎわっていました。今まで持っていた、負の先入観とは裏腹に、ほんのりとしたお祭りムードに、ほっとした気持ちになります。

正式参拝を申し込んで、定刻に拝殿の奥へ。
広い神社の敷地の奥は緑の森に囲まれていて、都心であることを忘れてしまいそうな蝉時雨が、ただ騒がしく聞こえてくるばかりです。汗をかきながら、畳敷きの広い拝殿の真ん中あたり、2,3列目に「どっこいしょ」と正座して腰を下ろした時のことでした。

突然、一匹のセミが、ものすごい勢いで、Vの字を描くように拝殿の中に一瞬入ってきて、またすぐに外へ飛び出していきました。
一瞬のことでした。
でも、これはセミが、拝殿の中の、何かを見に来たような、そんな気がしました。ただの空想でしかありませんが、会ったことのない伯父さんが、見に来たのかもしれないなあ、な~んて。

正式参拝を終えて、せっかくだから、と「小型献灯」を申し込みました。受付で「何時ごろに、敷地内の何番の部分に掲示されます」と案内を受けたので、コーヒーを飲みながら、しばらく待つことに。

喫茶室でコーヒータイム

定刻少し前に、掲示予定場所で待っていると、いくつかの灯篭が飾られ始めました。わたしの名前が入った、黄色い灯篭も飾られました。

スタジオ名を入れてみました


黄色い灯篭には、一つひとつに名前が書かれています。その一つずつに、平和への祈りが含まれているとしたら、それは、とてつもなく大きな力になっていくはずです。それなのに。

戦後77年。今日も、争い、殺しあい、戦火が消えることがありません。
靖国神社に祀られている多くの方々は、今でも繰り広げられている地球上の争いを、どんな気持ちで眺めているのでしょうか。

昨年のみたままつり

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