必要なプロセス
最近、悩みのグループに参加しています。(LINEチャット)
昨日メンバーとちょっとしたぶつかり合いがありました。
アルコール依存夫の未納料金のトラブルが見つかって、そのことについて吐き出させてもらってたら、「自分も似たような経験あります」と話に乗ってくれるメンバーさんが。
しかしその後、いきなり別のメンバーさんが
相手のことは相手のこと 相手の責任を取る必要はない
相手のせいにできるから、自分がそう仕向けている
自分が世話したいから、自分が相手を責めたいから、そう仕向けている
自分の居場所を作るために、自分の役割を作るために、自分が相手をそうしてる
そうしているうちは、自分も自立しなくていいから。楽だから
本当に腹を立てたくなかったら、あなたが支払えばいいんじゃないですか?
腹を立てるのも、立てないのも、ご自身が選んでる。
腹を立てたいから、立ててる。
と。言ってこられました。
私と話してたメンバーさんも、私も、これにはドン引きで・・・
ええ、理屈はわかりますよ
確かにそういうことだと思います
仏教的な考え方は、やっぱり、う〜ん、深く考えたらその通りなのだと
でも頭でわかっていても、「そんな身もふたもないこと」を、ここで言わなくてもいいじゃない・・・
みんな、その場所に、書いたり、聞いたりして、自分の思いを消化しにきてる。
「理屈はわかるのですが 人間には感情があるし
約束の守れない夫に腹を立てたとしても、ここの皆さんに聞いてもらうことは癒しになります。
怒るのは自分の選択、怒りたくなければ自分で支払えばいい、そんなふうに言われると なんか何も悲しいです。自分の中のモヤがなにも消費できません」
というふうに返信しました。
その後すぐに謝罪されました。
多分その方も、どこかでそうわかっていながら、そうできない自分や、そう言わないほうがいい理由をわかっていらっしゃる。。
きっと、辛いんだよね・・・
自分と同じ境遇の人だから、いやでも色々なことを自分で経験して、学んできた。
だからこそ、「違うよ、そうじゃないのよ」って教えたい。そういう確固たるプライドが生まれるのは間違いじゃないよ。
でもそれは、他人に言い聞かせるようで、実は自分にもそう言い聞かせてる。
問題のない人は、もうここのチャットグループからは退会しているはずだからね。
色々、わかってしまうだけに辛かった。
母親からの着信
日中はそんなようなことがあったから、夜は少しでも自分の楽しみをしようと、入浴したり映画見たり。。。
その時、母親からの着信・・・・いや、出たくない。無視すると、追いかけてもう1件。。。
不安になる。。。
もしかして夫に何かあって、母親経由で電話してきたのではないか?
そんな思いから夫にLINEしたら、未読にならない。
まさか・・・まさか・・・・という10分間は、1時間のように長く感じた。
すると「荷物整理してた〜」と夫から返信あり。ホッとする。
じゃ、母親からはなんだったんだ?
なんか、色々考える。
私ってなんなんだろう。母親の着信にいちいち怯えて。怯えてっていうか、不快な気持ちになって、自分の世界が一気に壊れるようなイメージ。
悔しくなり、涙が出た。私は今でも、こうやって、母親の念に囚われている。
このnoteで何回、母親のことを「吹っ切れた」と書こうとも、まだ、思考が追いついていない。
その後、母親からLINE
「OO(飼ってるペット名)元気?」と、一言でした。
んだよ!そんなしょうもないことで着信してくんなよ
って、カジュアルに思えたらどんなにいいか。
こないだ電話かけてきた時から思っていたけど、母親は不安になってる 多分ストレスも溜まってる。雰囲気でわかる
だから、私に電話してきて会話したりすることで安心を得たいのだろう。
こないだ電話を切った後のLINEは既読スルーしたので、まだ、不安なのだろう。
また前みたいに、毎日LINEしたりインスタで面白い投稿をシェアしたり、一緒に遊びに行ったりする仲でいたい。
そういう仲ができる人を「私は持っているの」という、心の安心感が欲しいのだろう。
これって立派な依存だと思う。
だって、そこに私の感情がないから
私は、もう嫌だ。こういう関係は。
母親は、私の人生を生きない生き物であってほしい
私は、誰かのための安心材料じゃない
依存的な思考が、その2件の着信や、LINEの文章に乗ってくる
拒否反応が出る。
必要なプロセス
さっき私は、夫のことも母親のこともこのnoteに書いてきた、と言ったが
その度に前向きなことも、何度も何度も書いてきた。
それなのに、私はまだこのnoteを卒業できない。
そして、今朝ぶつかり合ったメンバーさんのことを思い出す。
そっか、必要なプロセスなんだ。
私が、自分の思いを文章化するのは、自分が癒されたいから。
でも、まだ、完全に癒やされたわけではない。
「すべては自分で選択したことだ」というのは、究極の結論なんだと思う
しかしそれは頭ではわかっているだけで、そこにたどり着くためには長い長いプロセスが必要なのだろう
わかっているのに、本当にまだそこに至っていない自分に怒りや悲しみが湧くのは、当然のことと思う・・
「怒る選択肢は間違っていたのか」と思う時期があった
ネットでは「怒ると損」とよく書いているし、怒りのコントロール方法とか教わるからだ。
でも、私は怒りは決してわるいものではないと思う
怒りのプロセスがなかったら、今の私はここにいない
結論がわかっているなら、途中のプロセスは無駄だなんて、頭でっかちで、
自分の感情を押し殺すようなロボットじゃない。私は。
感情を抑えられない、溢れ出す、無駄なことばっかりしてる。
それは全部、悪いことじゃないはず。
今日も生きます。
18年一緒にいた夫(発達障害/躁鬱/アルコール依存症持ち)と離婚することになりました。離婚して新しい一歩を踏み出すまでを投稿します。