夫と別居して1ヶ月 / 母との話し合い

近況のお話です。


1. 夫と別居して一ヶ月が経ちました

今日で夫と別居して1ヶ月が経ちました。早いなー

一ヶ月前の今日は、私は仕事でした。
子供が集まるイベントがあったため、早めの出勤を頼まれていて、
朝の時点で夫は荷造りが終わっておらず、帰宅してもまだいたらどうしようとか、「やっぱり別居やめる」とか言われたらどうしようとか、
最悪、やけになって飲んで職場まできたらどうしようとか、
本当にメンタル最悪の中での仕事でした。。

なんとか夫は荷造りも終え、家を出て、社宅に入居できたようで、とりあえず一安心。
今までのことや、仕事の疲れもあり、翌日、一日中ダウンして寝ていたのを覚えています。。

色々溜まっていたな、私・・・。

1-1 夫と別居してみて変わったことは?

別居して夫のアルコール依存症が治ったわけではないですが、
やっぱり同じ屋根の下で暮らさないことで、ストレスはかなり減りました。

たまに心配になって、飲んでない?などの確認のLINEはしてしまったりしますが
基本は信田さよ子さんの「タフラブ」を参考に、見守るをベースに。

帰宅すると夫がいないって言うのは、何日かは寂しいなと思う時もあったけど、私の場合は「同居のストレス」の方が本当に勝っていて、
今は自分のことを考える余裕ができたりしました。

1-2 夫との連絡や内容は?

夫とは最初はしばらくLINE電話していましたが、今は文章のみになりました。

服用している薬の「飲んだよ」報告もあったのですが、今は無くなりました。理由は聞いてません。面倒になったのかも。

夫も社宅から新居アパートへの引越し、転入届などの提出、色々あったので大変だったと思いますが、そんな中で新しいアルコール外来に通い始めました。

  • 引き続き処方する薬は変わらない(続ける)

  • 看護師さんや先生の雰囲気がとても合う(通いやすい)

  • これから2週間に一度、通っていく

ということ。あと、こんなLINEもきました。

夫とのLINE

夫はアルコール依存症だけでなく「双極性障害」もあるので、
正直いうと「ハイ(躁)」の時にこんなような前向きな発言をなん度も聞かされては、裏切られる、という経験をしてきました。

でもそれは同居している時なので、今はその言葉を信じるしかないですね。

1-3 夫への今後の対応について

夫なりに気掛かりだったことがいくつかあり、それが一つずつクリアされていっているようで、今は英語勉強も始めたらしいです。

・・・今まで一緒に暮らしているとどうしても夫のことばかり考えちゃってました。別居したら、自分自身に向けられる時間が増えたので、気が楽になってます。

前向きな発言をしている夫ですが、やっぱり私は離婚届は出すつもりです。(夫も了承済み)

夫のことは応援したいし、愛情は変わらないけれど、私はもう夫とは「夫婦」としての繋がりは切って、新しいパートナーシップとして関係を築きたい。

夫への対応は「タフラブ」をベースに、見守っていきたいと思います。

2. 母親と話し合いしました

夫のアルコール依存症の事件で、母親との間にも亀裂が入りました。
一ヶ月くらいLINEは無視していたし、実家にも行きませんでした。

その間にも、
「預けているペットを連れてこい」とか、「たまにはご飯を食べにきなさい」とか、そういった押し付け(私にはそう感じられる)があって、ますます嫌になった時、さらに嫌なことを言われました。

2-1 取り決め???

「実家に戻ってくるなら、取り決めをするので、話をする」

ということでした。

仕事に行く前の10分前に父親からその旨の電話があり、思わず父親にも泣いて訴えてしまいました。

「私は母の、いう通りに生きるための人間じゃない!お人形じゃない!」と。
父親は、「母親はそんなふうに言っているんじゃないとは思うけど・・、仕事前にこんな電話して悪かったね」と言ってくれました。

父親はあまり干渉してこない人なので、父親に負担をかけるのは嫌でした。

正直、取り決めって何?って感じでした。

もしかして、門限とか、家事の押し付けとか、じゃないよね?と、怒りに震えながら笑ってしまいました。
私34ですよ。18とか19の娘さんだったら話はなんとなくわかりますけど。。。

私は家事したり家にお金入れたり、そういうの別にいいんですよ。でもそんなことって別に「取り決め」とか言われなくても、自然とするものじゃないですか。自分で食べた食器の片付けや、たまに疲れている親を見かねて、今日は私が作ろうとか、掃除をすることだって、、当たり前のようにやってきたことなので。

でも母親が言うニュアンスって違うものに感じられるんですよね。

母親が家事とかで疲れて助けられたいから「家事やる決まりね」とかではなく、
「自分が決めたルールで娘を支配したい」
そんなふうに聞こえるんですよね。(私にはね)

私が家にいればいつでも母の愚痴を聞く「都合のいい人間」になれるし、ついでに家事もやってくれれば「自分の手元から離れない可愛い奴隷の娘ちゃん」の出来上がり。
もちろん、奴隷などとは思ってもいないでしょうけどね。

要するに、うちの母親って寂しいんですよ。父親とは仲はいいけど、どこかで一線を引いてしまっている。

息子も、「娘」とは違う。

でもね、娘は娘なんですよ。女性なんですよ。これは、信田さよ子さんの本にも書いてありました。なぜ息子より娘に母親は依存しがちなのかって。

友達も作りたがらない母親は、娘を友達のように見る。なんでも一緒にやってくれてついてきてくれて、夫とも離婚して、ついに手元に戻ってきてくれる!さぁ、家事させよう、他に何をさせようか?私が言ったことを実行してもらう!お人形?そんなふうに思ってないわよ人聞き悪いわね。あなた散々自由にやってきたじゃない。でもこれからは、死ぬまで手放さないからね!そんなような存在が娘です。

娘は気が利きます。息子よりも断然。それに精神年齢は女の方が上とよく聞くので、感情のケアもしてあげられます。
母親が愚痴りたい時にそばにいて、母親が仕事や人間関係で辛い思いをしたら、それをケアするのが娘の役目。

私の母は、家事やルールに関して取り決めしたいんじゃないんですね。

私を縛り付けるため、今後また逃げていかないために、「取り決め」を作っておきたいんですね。安心したいんです。

2-2 話し合い

その日仕事が終わったあと、母親とやっぱり話し合いをしないとダメだと思って
喧嘩上等の覚悟で実家に行きました。

すると、割とあっけなく「あれ〜?仕事だったの〜?」みたいに話しかけられました。

正直私は、夫とのこともあり、色々人生に疲れ切っていました。まだ引っ越しも離婚も控えています。そんな中で喧嘩ってとても体力がいるもの。できればしたくない。ここは、あえて喧嘩する必要もない。

最初は雑談しながら、いよいよ核心について話し合いになりました。

まずは夫に対して呼び止めて、タクシー代を支払ったことです。
これは、私がアルコール依存を勉強していて、「イネイブリング」を徹底していたから変に介入してほしくなかったと言いました。

すると、母親は、私や夫に対して入れ込み過ぎている。依存していたんだと話し始めました。
本当はもっと夫(私の父)と一緒に出かけたりすればいいものを、娘や娘の夫に依存してしまっていた。友達ももっと作らないといけない。と言うような内容でした。

どういう風の吹き回し?と思いましたけど・・・・母親なりに学ぶことがあったのではないかと思います。

それから、私は今、別居、引っ越し、離婚っていう人生で最大のストレス2つを抱えているので、もう少し気を使って欲しかった。お母さんのやっていることは気遣いではなく、自分の欲求を叶えたいだけの押し付けじゃないか、と話しました。(もっと柔らかく伝えましたが)

そしたら、「自分的にはそれが優しさだと思っていたけど、伝わらないこともあるのね」と言っていました。

それで、信田さよ子さんの「タフラブ」について少し話をしました。
それからアドラー心理学の「課題の分離」も。。

どこまでが優しさなのか・・・
自分が優しさだと思っていることが、相手にとっては負担かもしれない。それは、実は自分の気持ちに裏がないか「問題」の切り分けが必要だと思う。

「助けてあげるよ」は、実は自分が助けてほしくて言っている。そんなことも世の中にはあると思うのです。

タフラブを読んでから、私が思う助けとは、相手が「助けて」とサインを出してきたら助ける。
「助けてほしいんでしょ?」と、自分の予想だけで世話を焼くことは、相手の意見を聞いていないことになる。。

私の母はいつも、「自分がそう思ったから」と言う憶測だけで、世話を焼いてきます。ありがたい時も何度かありましたが・・・、やっぱり、拗れることも多かったです。

母の妹が「どうしてお姉ちゃんは相手の気持ちを聞いてからやらないの?」とか聞いていましたね。。

母は、「せっかく私がこうしてあげたのに!!」とか言って、相手がその行為を受け取らないと逆ギレするような人だったからです・・・

2-3 取り決めの答え

「取り決め」の話に戻りますが・・

母は「実家にいるつもりなら、私に家にお金を入れてくれ」とのことでした。

え?それだけ?と思いましたw

母親は自分自身と戦っているように見えました。

お金さえ入れてくれれば、「出費=不快」になる。娘が自立するための背中を押す一歩になる。
多分、私がずるずると実家に居続けると、母はまた私に依存してしまうことが見えていたんじゃないかなって思います。

私も、共依存者だから、やっぱりこのやり方は正しいなと思いました。

そもそもうちの家庭がちょっと変で、、弟は数年ニートで、家にお金を入れません。親は弟の部屋に(頼まれてもいないのに)食事を運んでいきます。毎日ゲーム三昧です。

これじゃ自立したくなくなりますよね。w

2-4 母親とは分かり合えない

私が夫のことを手放すことで、自分がいかに夫に執着し、コントロールしようとしていたのか思い知らされました。

それと同時に、逆に母親にコントロールされていた自分自身にも気がつき、それが違和感となって母親と衝突し、
ようやくその話を母親とすることができました。

多分私が夫のことを手放したり、いかに自分が間違っていたかを話することで、
母親は私との関係をその状況に当てはめ、「あ、自分も同じことしてるんだ・・・」と気がついたと思うのです。周り見て我がフリ直せ・・反面教師?

それでも、今後とも母親とは分かり合えないかなって思います。

家族とはいえ、別々の個体としての存在です。けれども、一緒に住むと言うのは、どうしても依存しがちになってしまう。
一線を越えやすいのです。

どうやら日本では他者との一線を越えやすい環境(性格)らしく、アメリカではいくら家族であってもこの一線を越えると、すごく怒るようです。
「Mind your own business」(あなたには関係ないでしょ!)とか、「You’re crossing the line!」(あなたは一線を越えたわ!)などと言って。

他人の私事に干渉しない[口出ししない・構わない]、いらぬおせっかいをしない・Mind your own business [concerns]. : 余計な[大きな・いらぬ]お世話です。/人のことに口出しするな。/おまえには関係ない。

なんか、これは母親とのことに限らず職場とかでも、「それあなたに何の関係があるの!」って言いたくなるようなこととか、結構言われてきて嫌な思いしたので、
すごく健全でいいことだなぁと思います。

なんで子供産まないのとか、離婚したらどうするのとか、正直、ほっといてくれって思うからね。

そもそも日本の環境や日本人の性質が、一線を越えやすいものであり、
特に、今の日本経済では、実家に頼らざるを得ない人はたくさんいると思う。
そんな中で、どうしても、干渉したりしてしまいます。。

だからいくら母親とこんなふうに話し合ったり、お互いが学び、前に進んだとしても、日本にいて日本人な以上、干渉しがちになってしまう。。

だから私は「わかり合おうとしなくていいや」と思いました。

男性がセクシーな女性を見たら「おっ」と思うように、干渉も一緒に暮らしていると絶対にしてしまうものだと思います。

だから、いかに干渉されない、しないようにしていくか。それを淡々と日々行っていくしかないですね。

私の場合は、母親にLINEしすぎない。買い物など一緒に遊びに行ったりする回数を減らす。愚痴を聞かない・言わない。職場の話をなるべくしない。
自分が今なにをしてるか、今後どう人生を歩んでいきたいかなどを話さなくてもいい。

私も母親に共依存していたのだから、「共依存させないために、自分にできることをする」しかないですね。母親を矯正させることはコントロールの一種になってしまいます。

わかりあう(論す)必要はないと思いました。

正直、今思ってみれば母親が、私との関係を切らないために「ひとまずの落ちつかせる言葉」として、良いふうに言ってきた気がしなくもないです。過去に似たようなことがあったからです。
今「わかった」と言っても、またほとぼりが覚めると同じことをしだす・・・そんな恐怖がある。
それと戦うためには、相手を変えるより自分が変わるしかないと思います。

3. 浪人生ごっこにかける思い

最近私は「浪人生みたいになりたい!」と言う発言をしました。

その理由が、何でかな・・と自分でも考えたのですが、

母親の干渉を減らしたいから、って言うのも一理あったと思います。

私が勉強したい分野は英語で、「ペラペラになりたい」だけでなく、英語圏の文化のことも色々知って行きたいのです。(あわよくば仕事にもなったらいいな〜アハ・・)

日本以外の世界を知りたくなりました。
海外旅行は何回か行っていますが、そうじゃなくて、しっかりと学びたいのです。

欧米と言っても広いし文化も様々である、、と前置きをした上で言うならば
欧米では基本的に自分と他人の線引きがしっかりあり
お互いに相手の線引きを飛び越えない様にしています。
この線引きは、夫婦間でもそうですし、
親子でも親戚でも職場でも
多くの場合では日本より遥かに明確です。
どんな関係性であろうと
基本的に私は私、あなたはあなた、なのです。
これは言葉を変えると個人主義とか自己責任と言われると思いますが
欧米は自分は自分、相手は相手、それぞれ個々の意見を尊重するのです。

https://gaishienglishwoman.com/oubei/618/

こういう考え方にもすごく憧れがあります。

考え方を変えてみれば、母親との過干渉、共依存などがなければ、そこまで惹かれなかったかもしれません。。



今まで「夫と母親だけいればいい」と思って、人見知りすぎた自分が、夫のアルコール依存症や躁鬱で苦しみ、学び、成長することで、母親との共依存にも気がつけた。

今まで「臭いものにはフタ」じゃないけど、お酒だったら「飲まなきゃいいのに!」とか怒ったり、過干渉だったら「母を避ければいい」とか、思ってきました。

でも、結局それはうまくいかなくて・・・・
逆に自分の過去のことだったり、子供の時の思い、そういうのを辿ってみるとヒントがあったりしました。

「人生の生き直し」で、自分は今思春期をやり直している、っていうイメージなんです。

きっと、他者との線引きは欧米なら思春期の時に学ぶものでしょう。でも日本だとなかなか、個人主義ではなく、助け合いだったり「一心同体」っていう言葉もあることから、なかなか学んで来れなかった。
母親本人も、その母親から学べなかったりした。
そういうカルマがあったんだなって思いました。

どんどん自分が変わっていくのが分かります。
これからも良いふうに変わっていきたい。

引越し、離婚、まずは頑張ります。

共感はされたい、してあげたい。でも「当たり前」と思ってはいけない

ちょっと最後に。

この1年、色々なことがありました。

私は今人生で最大のストレス「引越しと離婚」をする最中ですが、
そんな中で母親の過干渉があり、本当にメンタルきつい時期がありました。

アルコール家族会に参加することで「人に共感すること」がいかに大事か学び、
私は母親から「共感されたかった」という悔しい思いがあったことも分かりました。

的外れな「世話焼き」ほどきついものはありません。特に、今の私の状況で・・。

共感だけしてほしかった。でも、してくれなかった。

他人はコントロールできない。そう、共感でさえ、いくら親だからといって、当たり前と思わないこと。そんなことも学んだ気がします。

結構、人生って冷酷です。人間て、それぞれ、自分のことしか考えて生きていません。だから、他人に期待すると「裏切られた」って思ってしまいます。

でも、「分かり合おうとしなくていい」をベースにしたら、
他人に期待しなくなる。他人を当てにしなければ、「他人から共感してもらえたらラッキー」くらいに思える。

このほうが、他人から踏み込まれることも少なくなる気がします。そもそも自分が他人を当てにすることが、「他者への踏み込み」になるからでしょうか。

日々が学びです。

18年一緒にいた夫(発達障害/躁鬱/アルコール依存症持ち)と離婚することになりました。離婚して新しい一歩を踏み出すまでを投稿します。