母からの攻撃が始まりました

過去、数年前に夫がアルコール依存症になり、そこから、母親の過干渉で、夫婦関係にも精神的な踏み入りがありました。

ただ、その頃は今と違って、まだ母親の「わがまま」だと思っていたし、
自分にも原因があるなぁと思っていました。

その時に母親とは大きな衝突があり、そして今年になって、また衝突。

そんな衝突でさえも、母親は自分自身の中で理由を正当化したのか、
またしゃあしゃあと私に電話してきました。

その電話を受け取ってから、母はまた「踏み込んでもいい」と思ったらしく、
後日また、電話2回。内容は私が預かっているペットの心配。

そしてそれも無視したら、とうとう父親経由でLINEが来ました。

自分の思いを言わない

母は自分の思いを言いません。

多分、母親が私に過干渉してくるのは、寂しさや「自分をわかってほしい」という自己承認欲求だと思うのです。

しかしその思いをストレートに伝えられない母親。

自分の思いを言うと、いつも泣き始める母親です。
「自分の気持ちを伝えようとすると涙が出てくる」という現象があるそうです。

だから、「父親が言っていた」とか「世間体が」とか、「ペットが心配だから」とか言って、かいくぐろうとしてきます。

理由あって母親のペットを預かっている状況ですが、
私が母とまともに会話していた時は、ペットの心配なんてほとんど言ってませんでしたね。

なので、本当にペットを心配しているというよりは、
ペットをダシに使って、私と連絡が取りたいという攻撃なのだと認識。
笑っちゃいますよね。。

正直、しんどいです

私は夫のアルコール依存症の心配もあります。

それでも色々勉強し、精神的な「手放し」「諦め」、そしてアルコールの前では自分自身は無力であること。
色々学んできて、夫との別居を選びました。

それでも、夫の心配は0%になったわけではありません。

その状態の中で、さらに母親の過干渉に付き纏われるのは、正直言ってきついです。

踏み込まれやすい私

男友達に相談したことがありました。

母親の過干渉に困っている、一旦実家には戻るが、早めに一人暮らししたいと考えている、と。

すると、男友達が所有している古民家があると言われました。
しかし、詳しく話を聞いていると、どうも、私のことを囲いたい的な発言がありました。
(つまり、性的な関係を結び、その見返りとして住まわせてあげるということ)

こういうちょっとした「弱み」が、他者を踏み込ませる原因になるのだと、痛感。

人って怖いですね。男友達は、言葉巧みに、まるで下心がないように話してきたのですから。

こういう件があってから、少し人間関係で不審になってしまいました。

職場で仲良くしてもらってる方がいるのですが、すごく「好き」的な発言をしてくれます。
けれど、次に来たのは「シフト代わりに書いて」というようなもの。

普段の私だったら全然いいよ〜と返信するところですが、「もしかしていいように利用されているのかも」と思ってしまいます。

優しさや弱みは付け入る隙を与えているのか

友達にしろそうですが、母親にも、他者に対して同情しやすい私は、踏み込まれてもいいのでしょうか。

いいえ、私はそう思いません。

夫とも母親とも、もしかするといくつかの友達とも、共依存していた頃は、それが仕方のないことだと思っていました。

けれど、今は異常なことなのだと認識しています。心地よくありません。

「生きづらさ」というものをとても多く感じる現代です。

でも、それを他者にぶつけていいかというとそうではないと思います。

特に母娘の関係は難しいものだと思います。
父親と息子より、より複雑だと下記の本で読みました。理由は、社会的地位による女性の立場であり、その女性同士だからこそというものです。

母の問題は私が解決することではない

母が生きづらいのも、満たされないのも、私の問題ではありませんし、私が解決すべきことではないです。

理解してはいるのですが、いまだに自分が一ミリも悪いと思っていない、
娘に問題がある、そんな娘を私がなんとかしてあげなければと考えている母に、イライラします。

サイズの合わない歯車を、無理やり回そうとしてくる感覚に似ています。

母親は自分に自信がないのだと思います。

職場にも似たような人がいるのでよくわかります。

自分に自信がない人ほど、その自信のなさを他人で埋めようとしてくる。

例えば、他者の悪口を言いまくったり、他者に原因があると信じて疑わない人だったり、です。

いくら他人に自分の自信のなさを埋めてもらおうとしても、それは不可能なのです。それを理解しないと本人も、その攻撃を受ける方も苦しむことになる。

攻撃を受ける側は、それに気づかないと鬱になって、最悪の場合命を落とすでしょう。
そうなってもなお、「なぜあの子は死んでしまったのだろう」と言うのが、彼女らなのです。

だから、そうなる前に彼女らと物理的にも精神的にも、距離を取るべきでしょう。

わたしの人生はあなたのものではない

母親は私の人生を生きようとしています。

私の持ち物を真似して買ってみたり、言動を真似してみたり、
私の野望に一緒に参加しようとしたり、
時には、私が夫婦になってもなお、私たち夫婦の問題に首を突っ込んできます。

私はずっと自立を妨げられてきて、ようやく自立が必要なのだと理解しました。

それはまるで、ずっと時が止まっていた部屋で生きてきた私が、扉を見つけ、開け、出て行こうとし、自分の人生を歩み始めた感覚に似ています。

私は思春期からやり直しなのかもしれませんね。

今の学生さんと接すると、いかに自分が子供っぽいのか思い知らされ、
その原因が母親にもあることを理解しました。

もちろん、自分にも原因はあります。

母と娘は、一心同体ではありません。

母には母の人生が、娘には娘の人生があります。

私は母に育てられたのですから、母の言っていること、やっていることが「当たり前」だと思って生きてきました。

けれど、それが間違っている、と気づいてしまった。

私の世界を広げてくれた職場や友人、そして本。いくつもの情報にアクセスできるインターネット、そして同じ親を持った方が参加するグループチャット。
そういうものに感謝したいです。それがなかったら、私はまだ母親の支配下にいたことでしょう。

親は子供を自立させるための存在です

親は、子供を自立させるための存在です。

オギャーと生まれて成人するまでは、保護する義務があります。

けれど、徐々に、「子供には子供の人生がある」「自分の人生後子供の人生は別物だ」と理解しなければなりません。

それができないということは、子供に問題があるのではなく、親に問題があります。

親が、寂しさや虚しさ、怒りや悲しみ、そういうものを抱えている。
それを理由にし、その理由をコネクリ回して、子供に押し付ける。

過干渉や、教育虐待、コントロール、そういう形に変えて・・・・・。

それでもなお、親は気づかないものです。

「私の子供は問題だらけだ!」私がどうにかしてあげなきゃ!」

と言って、さらに踏み込んでこようとします。言ってしまえば現実逃避でしょう。自分自身から目を背けたいからやっているのです。

現に、幸せで満たされて、きちんと精神的にも自立できている親はそんなことしないでしょう。

「困っているから助けるよ」と言って近寄ってくる人は、実は相手が困っているからではなく、自分が困っているから近寄ってきます。
自分が助けて欲しいのです。

タフラブ(tough love)であれば、子供が本当に困った時に「どうしたの?いつでも力になるからね」と言って、ほんとうの「力」になる。

「自分が悪い」と思っている人は見直してみて

私もずっと「自分に非がある」と思い込んできたAC(アダルトチャイルド)ですが、同じような思いを抱えている人に言いたい。

自分が悪いのではなく、周り、つまり、特に両親。兄弟。もしかすると友達。その辺りがどうなのかを一旦見直して欲しいと思います。

彼らは「あなたは問題たっぷりだね。私が支えるから安心してね」と言葉巧みに近寄ってきて、あなたの人生を生きようとしてきます。

けれど、それはあなたの人生に問題があるのではなく、彼らに問題があるのです。

「あなた」を利用し、自分の問題を埋めようとしているのです。

親にお金を借りたから踏み込ませていいは間違い

私は母親に借金がありますが、それでもなお、「だから、私は踏み込まれてもいいのだ」なんて思いません。

私に借金があった時、母親が私にお金を貸してくれた理由の一つに、
「お金を貸せばこの子は私から逃げられない」という無意識があったと思います。

それは、当時の私にはドンピシャでした。
まさに、「お金を貸してくれた。母親の愛情だ。だから、母親には頭があがらない。母親の問題も自分がなんとかして当たり前だ」と思っていたのです。

しかし、今ではそう思いません。

借金は個人的な問題です。債務であり負債です。

それは、「借金をした私」にどういう理由があったのか、見直す必要はあるでしょう。例えば、毎月の出費を見直す。身の丈にあった生活をする努力をする。収入を増やす、などがあります。

しかし、それと、「母親から踏み込まれていい」という問題は別物です。全くの別なのです。

愛情は無償です。

もし借金を肩代わりしてくれる健全な親なら、見返りは求めないでしょう。

もちろん「親はお金を貸してくれて当たり前。精神的にも踏み込んできちゃいけない」とは思っても、借金をしない、反省をする、曲がりなりにもお金を貸してくれた親に感謝するということは、親子というより人間として当然のことでしょう。

借金をした自分、お金を貸した親。全部一緒にしてはいけないと思います。

何度も言いますが、お金の問題は個人の問題として、
それから貸してくれた親には感謝は大事だけれど、精神的な踏み込みを許す理由にはならないのだと、切り分ける必要が出てくると思います。

どう対策して行こうか

自分の人生全てを母親のせいにするつもりはありません。

具体的には、母親の過干渉、コントロール。「これは母親の問題なのだな」とわかるところを、どう回避していくかです。どう、私が代わりに肩代わりしてあげるか、、ではないのです。

相手の問題と、自分の問題を切り分けて考える。

これってすっごく大事なことだと思います。

自分には自分のダメなところ、問題いっぱいありますよ。現に借金してるところとか。笑
ダメすぎて笑えまーす。なんとかしなきゃね。身の丈にあった生活をし、周りに心配かけないように、色々考えるところはありますよ。

けれど、本当に何度も言うけれど、それと「精神的な踏み込み」を許すのとでは違います。断言。

精神とは、いつでも自分だけのものです。

踏み込まれていい理由は一つもありません。それがどんなに自分が、ダメ人間であっても。精神的な部分は、自分だけのもの。尊重されるもの。

「課題の切り分け」しっかりやって行こうと思います。

そこしか解決ないと思ってます。毎日必死です。

18年一緒にいた夫(発達障害/躁鬱/アルコール依存症持ち)と離婚することになりました。離婚して新しい一歩を踏み出すまでを投稿します。