超開運日と言われている今日に書く。

昨日、高額な自己投資をすることを決めた。

もう、自分の覚悟一つなのだと、やっと理解した。

やるしかない。

中途半端にするのをやめる。

こだわるところはこだわる。



あとは家族との関わり方。

いつかの未来のための行動ではなく、
1日のうちなら寝かしつけするための行動ではなく、

その時その時で、子どもたちに丁寧に接する。

あ、夫にも。

これだけでも宣言して寝よう。


おやすみなさい。

それではまた。




って、投稿したらギリギリ22日になっちゃってたので追記しよう。

昨日からの感情の動きに自分でも動揺している。

昨日、仕事終わりに勉強会に参加した。

無料の勉強会。
もちろん最後に講座の案内がされることなんてわかっている。

だけど、どんな勉強会かもよくわかっていないうちに
公式LINEで何度か案内が来ていて
気づいたら申し込んでいた。

そして、事前アンケートお答えくださいとの案内に沿って
アンケートにも回答していた。

そして当日、勉強会に参加すると
ビジネス初心者の私にはとっても有益な
学びとなることをたくさん教えていただけた。

ひとつひとつ落とし込んで自分のものにしていこう。
そんなことを考えながら、最後までセミナーに参加し
講座の案内を聞いていた。

正直、講座を受ける気なんて全くなかった。
だけど、案内の最後には、これは私のための講座!?
受けるしかなくない!?
え?目指すところ一緒?!って笑ってしまった。

正直金額は、私には考えられない額。
これまでこんな高額な買い物、家と車以外ない。

だけど、本気で月収うん万円って目指すなら
払えない方がおかしい。

本気で月収うん万円得られるのであれば、
その金額は払える。

だったら、受けるしかないのでは?

私が本気でこの金額を稼ぎたいと思っているのか?
それを試されている気持ちになった。

ここ最近で、これまで以上の金額を稼ぐことは
決して卑しいこと、悪いことではなく
それが世の中のためになるのだ、と言う気持ちを
持てるようになっていた。

そして、それを分解して考えることで
やはり私ができる限り稼ぐことは、
周りまわって、誰かの役に立てるのではないかと思った。

だとしたら、わたしはできる限り稼ぎたいし、
こんな私でもできるんだよ!ってことを
周りの人に知ってもらいたい。

それで、誰かたった一人でも、背中を押すことができたら
そんなに幸せなことはないと思う。

しかも現実問題、家族と楽しく幸せに
健康に過ごすためにはお金が必要。

子どもたちには将来につながる健康な体を
作ってあげたいし、
夫にも楽しいと思えることをしてもらいたい。

両親も旅行に連れて行きたいし、
おにぎりカフェを作る夢の実現のためにも
資金を稼ぐことは必要。

というか、本当におにぎりカフェを作りたい。

絶対にいい。

スタバにおにぎりが置いてあったらそれでもいい。

手帳を書いたり、読書をしたりするのに
ひとりカフェは最高。

コーヒーは飲みたいし。

だけど、パン、サンドイッチ、デザートではなく
おにぎりが食べたい。
可能なら豚汁も。
あとお漬物かだし巻き卵とか。。

でも、おにぎり食べられるところで、
のんびり居座るのってちょと難しい。

よくあるおにぎり屋さんって、
ほんと食べたら即帰る!
みたいなところばかり。

でも、おにぎり食べたいよね?
おにぎり食べたあと、
美味しいコーヒーとか飲みながら
本読んだり、手帳書いたり
のんびりできるところがあったら
最高じゃない?

ないなら、作る!

そこはもう、利益は度外視したい。

託児スペースを作って、
パパとママがリラックスして
のんびりできるところにしたいの。

家族連れで来た時に
パンだけじゃなくて
おにぎりがあったら嬉しいよね?
おかずもあったらいいよね?

zoomとかできるような個室も作って
オンライン会議もできるようにしたいの。

んで、その傍ら、私は依頼があれば
コーチングしたりするの。

いろんな人のお話を聞いて、
少しでも笑顔になる人が増えたら嬉しい。

そして、いろんな人の話を聞いたことを本にするの。

そんなことするってなると、
私はおにぎり作ったりお惣菜作ったり
接客とかできなくなっちゃうから
誰かにその辺はお願いするの。

そうして、雇用を少しでも生み出すの。

最高じゃない?

少しでも経済を回して、
子どもたちが
「日本に生まれてよかった」
「これからの日本最高じゃん」
って思えるような環境づくりに
ほんの一場面でも貢献したい。

私子どものころ、
自分は総理大臣になるんだって思ってたんだよね。

総理大臣が何をする人かもよく知らずに。
いまだによくわからんけど。

このよくわからんけどってのがおかしいよね。

私は本当に今まで、
何を学んできたんだろうかと愕然とする時がある。

あまりにも責任感がない。

そうだ、責任感がないのだ。

だから、締切を守れなかったり、
時間にルーズだったりするのかもしれない。

いつも誰かのせいにする。
いつも誰かのせいにできるように、
自分では決定しない。

誰かに聞いて、
「いいよ」って言われたからやった、
そう言えるようにしていた。

自分で決めたと言う意識がないから
達成感もないし、責任感もない。
結局他人事なのだ。

人生のほとんど全ての場面においてそんなだから、
人生も他人事。

欲しいものを言う時ですらそうだったかもしれない。
これが欲しいと言ったら、父はどう思うか?
母からセンスがいいと言われるか?
これをもっている私を周りはどう見るか?
普通これだよね。

全ての基準はそれだった。

自分がどうしたいか、
私は何が好きか、
そこは判断の基準に入れてはいけないと思っていた。

だって、
「あみはセンスがない」
と言われていたから。

自分のセンスを信じられることなんてなかった。

洋服だっていつも母が買ってくるもの。
大人になってからは母が買った洋服を一緒に着ていた。

自分で洋服を決めるのが苦手。
洋服を買いに行くのはいつも母と。
友人といっても、友人がいいと言うものが
いいものなんだと思っていた。

今思い出したけど、
中学の時の思い出が関わっているのかもしれない。

友人と二人で洋服を買いにいった。
私にとってもは初めての友人との買い物で
友人に合わせて結構高額な洋服を2着買った。
確かTシャツとスカートで合わせて1万円を
越えていたと思う。

友人は当たり前のように買っていた。
私もそれが当たり前なんだと思った。

だけどそれを買って帰って母に見せると、
母はいい顔をしなかった。

「どうしてこんなに高い服を買ったのか」
「全額使ってくるとは思わなかった」
「その友人の家とうちは違うんだ」と。
そのようなことを言われた記憶がある。

だけど、当時の私にまともな金銭感覚はないので
友人と合わせてしまっても、仕方がないと思う。
そして、そもそもなぜそんな大金を持っていたのか?

お金をどのように使うべきかなんて
私は学んでいなかった。

母の貯金箱から500円玉を盗んだことも
一度や二度ではない。
バレていたのかいなかったのか。
なぜお金が欲しいと言えなかったのか。

きっと、お金の使い方を学んでいなくて
知らずに思いのままに使ったら母に叱られたので、
自分のお金の使い方はよくないんだと
思い込んだのだろう。

だから、「こんなことにお金を使いたい」とは
言えなかったのかもしれない。

こうなった時にやはり親としては
お金の使い方を教えてあげたい。

だけど、私自身がまだお金の使い方に
自身があるわけではない。

改めて自分のお金の使い方、
お金の勉強が必要だと言うことに
今気がついてしまった。

いや、気がついてよかった。

これから学べばいいだけだから。

こんなだから、私は決断ができなかったのだ。

家や車を購入するときも
夫がいいと言うのだから大丈夫だろう。
コーチ課程の講座も
夫が許可してくれたから、きっとまともなのだろう。

そんな感覚だった。


そうか、こう言うことだったのか。
今になって自分で納得しているという…

でもこれからは、私は自分で決めて
自分で責任を持つと覚悟を決めたんだ。

独学でやっても可能なのかもしれない。
だけど、どれほどの時間がかかって、
どれほどの効果が得られるのかは未知数。

それなら、最短で目標を達成するために
できることをやったらいいのではないか?

なにより、全く講座を受講する気がなかった私を、
高額商品を自分一人で決めて購入することができない私を、
「受けよう」と思わせたこの人すごい、と思った。
この人から学べば、
周りの人を、自分を、幸せにしながら
自分の理想の収入を得られるのではないかと思った。

できると思った。
全力でやりたいと思った。

自分で考えて試行錯誤して少しずつ
収入を上げていくこともできると思うけど
どうも先がイメージしきれていなかった。

だけど、自分一人で試行錯誤するのではなくて
先人から学べばいいと思った。

同じく目標に向かって頑張る仲間が欲しいと思った。

ひすいこたろうさんも言っていた。
人生を変えたかったら3つの間を変えるといいと。

時間
空間
仲間

その中でも、仲間がいちばん効果が大きい。
判断基準が変わるから。

それを聞いて、
どこに属そうか、どこから学ぼうか
ずっとそれを探していた気がする。

3万円の講座に申し込む勇気がなかった私が
それを遥かに超える講座に申し込んだ。

やると決めたら動けるのだ。
やはり覚悟なのだと思う。

まだ決めただけ。
動き始めただけ。

だけど、動き始めれば
どんどん新しい動きが起こる。

怖くて震えてて、ドキドキして
苦しいけど
やるだけやってみる。

例え
思う結果にならなかったとしても
死ぬことはない。
いやむしろ
挑戦せずに生き続けるより
挑戦して死んだ方が良いのかもしれない。

まだまだ死ぬつもりはないけど。
めっちゃ生きるけど。

一歩踏み出した私、すごいぞ。

挑戦してくれてありがとう、私。

と褒めておく。

これで結果出なかったら草

いや、出す。

それではまた。

自己満note失礼しました。

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