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子どものころ

さっきnoteから逃げようとしたけど、自分のために書くことにして戻ってきた。おかえり自分。思い出した順に、書いてみようと思う。

いしかわゆきさんの書籍『書く習慣~自分と人生が変わるいちばんの大切な文章力~』にお題をお借りして、文章を書いていきます。毎日頑張りたいけど、不定期になるかもしれません。本日5日目。

4回の転校に耐えうるメンタル強めの女の子だった

父の仕事の都合で、幼稚園生から小学生にかけて4回転校をしている。それなのに、なんだかんだめちゃくちゃ好きな友だちに恵まれて楽しい学生ライフを送っていた。自分のことながら、子どもの社交性の高さには関心させられる。新しい環境にはすぐ溶け込めたし、楽しいことを見つけるのも上手だった。いまはどっちも苦手。
ふだんから密に連絡を取っている人はほとんどいないけど、InstagramやFacebookという素晴らしいSNSが私の縁を今でも繋いでくれている。

超お兄ちゃんっ子だった

厳密には、お兄ちゃんとお兄ちゃんの友人大好きっ子だった。兄が野球部だったこともあり休日の試合は応援にいったし、兄の友人が遊びに来ているときは勝手に顔を出していた。
中学生の頃、私は兄の影響でソフトボール部に入っていたのだけど、兄や兄の友人が練習を見に来てくれる時間は最高に幸せだった。
今となっては、必要な時以外連絡を取る関係ではないんだけどね。

お泊りが苦手なさみしがり屋だった

とにかくお泊りができない子どもだった。小学生になっても、4年生になっても、どうしても宿泊学習やお友だちの家にお泊まりに行きたくないと泣き散らかしていた。ふつうに外泊ができるようになったのも、小学校高学年くらいからだったように思う。
社会人になってからは一人暮らしだし、いまはこれがふつうになっているけど、本当に親離れできない子どもだった。

推しはWaTだった

小池徹平さん推しだった。
ファンクラブにも入って、ライブにも行っていたし、CDは2枚ずつ買っていたタイプ。日比谷音楽堂で初めて生WaTを観た時は感激したし、小池徹平の単独ライブを前から6列目くらいで観た時は失神するかと思った。いつの日か、なんとなく冷静になる時が来て、その時に熱烈なファンを卒業したけど、それからは特別推しです!と言い切れる人はいない。
(最近かっこいいなと思うのは横浜流星さん、よく聞く音楽はTaniさんみたいな若者思考です。)

おしまい。